顔淵第十二 295

上へ


原文               
子貢問政。子曰、足食、足兵、民信之矣。子貢曰、必不得已而去、
於斯三者何先。曰、去兵。
曰、必不得已而去、於斯二者何先。
曰、去食、自古皆有死、民無信不立。
 
〔 読み下し 〕
()(こう)(まつりごと)()う。()(のたま)わく、(しょく)()し、(へい)()し、(たみ)(これ)(しん)にす。()(こう)()わく、(かなら)()むを()ずして()らば、()三者(さんしゃ)(おい)(いず)れをか(さき)にせん。(のたま)わく、(へい)()らん。()わく、(かなら)()むを()ずして()らば、()二者(にしゃ)(おい)(いず)れをか(さき)にせん。(のたま)わく(しょく)()らん。(いにしえ)()(みな)()()り、(たみ)(しん)()くんば()たず。
 
〔 通釈 〕

子貢が政治の要道を問うた。孔子は、「食糧を満たし、軍備を充実し、人民に信義を持たせることだ」と答えた。

子貢は、「国情からして三つ同時進行が無理だとしたら、何を後回しにすべきでしょうか?」と問うた。孔子は、「軍備を後回しにしよう」と答えた。更に子貢は、「国情からして残りの二つさえ同時進行が無理だとしたら、どちらを後回しにすべきでしょうか?」と問うた。

孔子は、「食糧を後回しにしよう。食糧が不足すれば餓死する者も出て来ようが、食い物が有ろうが無かろうが、人は皆いつかは死ぬものだ。もし人民が信義を失ってしまったら、禽獣と同じになって、人間社会は成り立つものではない」と答えた。
 

〔 解説 〕

信を人民の信用ととって、「為政者が人民の信用を失ってしまえば、政治は成り立たない」と解釈するものもありますが、民主政治以前の専制政治や恐怖政治等、人民の信用など端から念頭にない政治形態も存在しますから、信を人民の信用とするのにはちょっと無理があるでしょう。選挙やリコールなどない時代の話しですから。よってここでは「信義」の徳と解しました。

孔子は政治の要道を「食を足し、兵を足し、民之を信にす」と三つ挙げておりますが、これを今日的に解釈すれば、

 一「食を足し」・・・・経済発展による国民生活の安定向上
 二「兵を足し」・・・・外交・軍事の充実による国益の安定確保
 三「民之を信にす」・・教育(知育・徳育)の充実による人材の育成

となるでしょうか。孔子は三番目「民之を信にす」つまり、教育の充実による人材の育成が全てに優先する!と述べている訳ですが、「食を足し」(経済)も「兵を足し」(外交・軍事)も、優秀な人材があったればこそですから、こ れは千古変わらぬ鉄則ですね。明治政府の富国・強兵・義務教育の
国策三点セットは、論語のこの章に準じたものでしょうか?

日本はこの三点セットで、僅か40年足らずで一等国に伸し上がって行く訳ですから、もし明治政府が国策を本章からとったものだとすれば、論語は人物涵養・リーダーシップ涵養の書のみならず、国造りに欠かせない一書ということになる。


考えてみれば、聖徳太子以降、日本の為政者で、論語を読んだことのない者など一人もいなかったのではないでしょうか?(信長も秀吉も読んでいました)これはいよいよ今の政治家はしっかりしないといけませんね。国民は今度政治家を選ぶ際、論語を読んでいるか?いないか?を、投票の目安にしたら良い。そうすれば、国政の舞台からバカは一掃されます。
 

〔 子供論語  意訳 〕
弟子(でし)()(こう)が、「政治(せいじ)のポイントを(おし)えて(くだ)さい」と質問(しつもん)した。孔子(こうし)(さま)は、「経済(けいざい)充実(じゅうじつ)させて国民(こくみん)(ゆた)かにする。国防(こくぼう)治安(ちあん)充実(じゅうじつ)させて国民(こくみん)安全(あんぜん)(まも)る。教育(きょういく)充実(じゅうじつ)させて国民(こくみん)能力(のうりょく)人格(じんかく)(たか)める。こうすれば自然(しぜん)(くに)(さか)えるものだ」と(こた)えた。()(こう)は、「もし三ついっぺんにできないとしたら、(なに)一番(いちばん)(ちから)()れるべきでしょうか?」と(かさ)ねて質問(しつもん)した。孔子(こうし)(さま)は、「もちろん教育(きょういく)だ!経済(けいざい)充実(じゅうじつ)も、国防(こくぼう)充実(じゅうじつ)も、みな(ひと)によってつくられるものだ。ではその(ひと)(なに)によってつくられるのかな?能力(のうりょく)人格(じんかく)(なに)によって(みが)かれるものかな?そう、教育(きょういく)だ!!能力(のうりょく)(みが)ものを知育(ちいく)といい、人格(じんかく)(みが)くものを徳育(とくいく)という。まず知育(ちいく)徳育(とくいく)によって立派(りっぱ)(ひと)をつくる。(つぎ)にその(ひと)によって立派(りっぱ)(くに)をつくる。これが(くに)づくりの基本(きほん)なんだね」とおっしゃった。
 
〔 親御さんへ 〕

国づくりの前に人づくりが優先する、立派な国づくりの前には立派な人づくりが優先する!これは古今東西変わらぬ哲理だと思うのですが、最近の日本人は一体全体どうなってしまったのでしょうか?バレなければ人はどうなろうと、自分さえ良ければそれでいいとでも思っているのでしょうか?

ベストセラー「国家の品格」の著者藤原正彦さんは、著書の中で大変興味深い話しを紹介しています。(国家の品格191ページ)“大正末期から昭和の初めにかけて駐日フランス大使を務めた詩人のポール・クローデルは、大東亜戦争の帰趨のはっきりした昭和18年、パリでこう云いました。『日本人は貧しい、しかし高貴だ。世界でただ一つ、どうしても生き残って欲しい民族をあげるとしたら、それは日本人だ』と。”

昭和の初めに来日したアインシュタインも似たようなことを述べている、“このような高貴な国と民族をこの地球上に残しておいてくれた神に感謝する!”と。戦前の日本人、特に昭和初期迄の日本人は立派だったようですね。

その基になったのが、国民道徳の根源及び教育の基本理念を謳った「教育勅語」にあったのは云う迄もありませんが、それ以前の江戸末期に、農山村にまで普及した寺子屋に於ける論語の素読が下敷きとなっていたことを忘れる訳にはいきません。江戸末期の日本人の識字率は、50%を超えていたと云うから驚きです。こんな国は日本をおいて他にはありません。

産業革命で既に工業化していた当時のイギリスでさえ、識字率は20%以下ですから。現代人は「戦争」の反対語が「平和」、平和の反対語が戦争と勘違いしているようですが、戦争の反対語は「和解」、平和の反対語は「無秩序」です。こんなことは世界の常識ですが、戦前の人は皆知っていたんです、こんなことくらい。戦争などなくても、大地震や大噴火や大洪水で平和(秩序)が一瞬で破壊されてしまうことを皆知っていたんですね。
 

顔淵第十二 294 顔淵第十二 295 顔淵第十二 296
新論語トップへ