先進第十一 286

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原文        作成日 2005年(平成17年)10月から12月
季子然問、仲由冉求、可謂大臣與。子曰、吾以子爲異之問、曾由與求之問。
所謂大臣者、以道事君、不可則止。今由與求也、可謂具臣矣。
曰、然則從之者與。子曰、弑
與君、亦不從也。
 
〔 読み下し 〕
()()(ぜん)()(ちゅう)(ゆう)(ぜん)(きゅう)大臣(だいじん)()うべきか。()(のたま)わく、(われ)()(もっ)(こと)なるを()()うと()す、(すなわ)(ゆう)(きゅう)とを()()う。所謂(いわゆる)大臣(だいじん)なる(もの)は、(みち)(もっ)(きみ)(つか)え、不可(ふか)なれば(すなわ)()む。(いま)(ゆう)(きゅう)とは()(しん)()うべし。()わく、(しか)らば(すなわ)(これ)(したが)わん(もの)か。()(のたま)わく、(きみ)(ちち)とを(しい)すれば、(また)(したが)わざるなり。
 
〔 通釈 〕
魯の大夫季子然(季氏の一門)が、子路と冉有二名の逸材を召し抱えたのを誇りに思い、「仲由と冉求は大臣級の人物でしょうか?」と尋ねた。

孔子は、「さて、これは異なことを仰せられる。私はもっと立派な人物のことをお尋ねになるのかと思っておりましたが、由と求のことでしたか。そもそも大臣というものは、正道を以て主君に事(つか)え、正道が通らなければさっさと辞職するものです。今の由や求はまだそんな器ではありませんから、まあ員数を合わせるだけの具臣と謂った所ですかな」と、皮肉混じりに答えた。

少しムッとした季子然は、「具臣ならば、主人の命令には何でも従いますね」と云うと、孔子は、「員数合わせの具臣と申しましても、二人とも私の直弟子ですから、主君を殺せとか父を殺せというような非道な命令には、まず死んでも従わんでしょうな」と云った。
 
〔 解説 〕

せっかく二人の弟子を雇ってもらい、しかも大臣級(クラス)の大物を得たと喜んでいる季子然に対して、どうして孔子は「員数合わせの具臣に過ぎない」などと、神経を逆撫でするようなことを云ったのでしょうか?

そもそもこれは、いつ頃の対話でしょうか?季子然は、クーデターを起こして昭公を斉に放逐した季(き)平子(へいし)の子、筆頭家老
季桓子の弟で、季康子(季桓子の子)の叔父に当ることから考えると、どうもこれは孔子仕官前の五十前後(子路は四十前後、冉有は二十前後)の頃の話しではないかと思います。

何を聞いても耳に逆らう事がなくなる「耳順」の十年も前の話し、つまりこの時孔子は血気剛なる壮年期。恐らく、大臣(大夫)の身分に過ぎない季子然が、あたかも君主気取りで自分の家来である子路と冉有を大臣呼ばわりしたことに対し、「何様のつもりだ!」とカチンと来たのではないでしょうか?

「まあいいか!?」の耳順を迎えていれば、カチンと来ることもなく、「過分なお褒めの言葉を頂いて恐縮に存じます。何分未熟者ゆえ、お引き回しの程宜しくお願い申し上げます!」位のことは云ったでしょう。

但しこの程度のことでは論語に残りませんから「もし貴殿への諫言を怠るようなことでもあれば、容赦なく叱って下さい。欺(あざむ)くこと勿れ、而して之を犯(おか)せ(誠心誠意主人に仕えよ、時には機嫌を損ねても諫めよ・憲問第十四)と常々教えておりますから」と付け加えて。
 

〔 子供論語  意訳 〕
()(こく)家老(かろう)()()(ぜん)という(ひと)が、政治(せいじ)手腕(しゅわん)にたけた()()(ぜん)(ゆう)二人(ふたり)家来(けらい)()(かか)えたのを(よろこ)んで、「おかげ(さま)大物(おおもの)二人(ふたり)()ることができました」といった。孔子(こうし)(さま)は、「いいえ、まだまだ未熟者(みじゅくもの)ですから、頭数(あたまかず)をそろえる程度(ていど)のものですよ。本当(ほんとう)大物(おおもの)は、月給(げっきゅう)()らされようが、リストラされようが、(ただ)しいことは(ただ)しい!間違(まちが)いは()(ちが)い!と自分(じぶん)信念(しんねん)(つら)(ひと)のことをいいます」とおっしゃった。季子(きし)(ぜん)が「主人(しゅじん)命令(めいれい)なら(なん)でも()うことを()くのが、いい家来(けらい)ではないんですね?」と()うと、孔子(こうし)(さま)は、「もちろんです。()(なか)には、なくてはならないものごと・あった(ほう)()いものごと・あってもなくても()いものごと・ない(ほう)()いものごと・あってはならないものごとの()(とお)りありますが、もしこの二人(ふたり)が、なくてはならないものごとを(なま)けたり、あってはならないものごとに()()()りをするようなことがあれば、遠慮(えんりょ)せずリストラして(くだ)さい。()()てせざるは(ゆう)なきなり!と、(みみ)にタコができるほど()()かせてありますから」と(こた)えた。
 
〔 親御さんへ 〕

あってはならないことに見て見ぬ振りをして、否、共謀して、金儲けに狂奔した哀れなジイサンがいましたね。姉歯事件(耐震強度偽装)で焙り出された、総合経営研究所の内河健(たけし)も木村建設の木村盛好も共に七十過ぎのジイサンでしょう?七十と云えば、「心の欲する所に従えども、矩(のり)踰(こ)えず」の年の筈だが、「心の欲する所に従って、矩を踰えちゃいました!」って所かね?いい年こいて!

こういう連中に「青天の霹靂」とか、「不徳の致す所」などと一丁前のことを云わせちゃダメ!
ぎゅうぎゅう締め上げて「青天白日の下(もと)に、バレなければ良しとして悪徳を為しました」と云わせなければダメだね。二人とも12月14日に証人喚問されるそうですが、「属鏤(しょくる)の剣」でも贈って、国会議事堂で腹を切れ!と迫ったらどうかね、国会議員は!?

「民免れて恥ずることなし(バレなければそれで良しとして自分の悪事を恥と思わない)」為政第二19章)、つまり、善悪よりも損得を優先してやったことが、「利によりて行なえば怨み多し」(里仁第四78章)となった訳でしょう。

内河も木村も孫のいる年だが、いるとすれば中学生か高校生でしょう?孫に迄恥ずかしい思いをさせるなんて、なんという悪徳ジイサンだ!騙されてマンションを買わされた人を税金で救済するのはいい、しかし、結局は、悪徳ジイサンの尻拭いを我々の税金でする事になる訳だから、やっぱりこれは属鏤の剣を贈るしかないね、身から出た錆なんだから。ここは「まあいいか!?」って訳には行かないね。
 

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