郷黨第十 255

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原文                   作成日 2005年(平成17年)7月から9月
疾、君視之、東首、加朝服、拖紳。
 
〔 読み下し 〕
()めるとき、(きみ)(これ)()れば、東首(とうしゅ)して、朝服(ちょうふく)(くわ)え、(しん)()く。
 
〔 通釈 〕
病気になり、主君が見舞いに来られる時は、東枕に寝て、夜具の上に礼服かけ、大帯をその上に置いた。
 
〔 解説 〕

東枕にする理由は、主君が南面して病人を見舞えるようにする為だったようです。病人の右側、つまり北側に坐る事になりますから、顔は当然南向きになる。他に、東から昇る太陽の陽の気を受け易くする為、という説もあります。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)病気(びょうき)になり、殿様(とのさま)直々(じきじき)見舞(みまい)いに()られる(とき)は、(あたま)東向(ひがしむき)きになるように(とこ)(なお)し、ふとんの(うえ)礼服(れいふく)をかけ、その(うえ)(おび)をおいてお(むか)えした。
 
〔 親御さんへ 〕

人が死ぬと「北枕」にして寝かせますが、どんな由来からそうするのか、分かりますか?お釈迦様が亡くなった時、たまたま「頭北面西(ずほくめんさい)」・頭が北、顔が西を向いていたことからそうするようになっただけのこと。それ以外の意味はありません。

もっとすごい所では、「頭北面西(ずほくめんさい)右脇臥(うきょうが)」と云って、右脇を下にして寝かせることもある。(背中に当て物をして)これなんかも、釈迦入滅の時の姿勢を模しただけで、他に何の意味もありません。本当はどっち向きでもいいんです、東枕でも北枕でも西枕でも南枕でも。
 

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