郷黨第十 254

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原文                    作成日 2005年(平成17年)7月から9月
侍食於君、君祭先飯。
 
〔 読み下し 〕
(きみ)侍食(じしょく)するに、(きみ)(まつ)れば()(はん)す。
 
〔 通釈 〕
主君に陪食する時は、主君が初穂のお供えを祭っている間に、毒味の為先に一口食べた。
 
〔 解説 〕

箸がいつ頃から使われるようになったのか?定かではありませんが、殷の暴君紂王(今から約3200年程前)が、それ迄の箸に飽き足りず、象牙の箸を作らせたとありますから、その遙かに昔からあったのでしょう。

我が国でも箸は相当昔から使われていたようで、古事記に、天の岩戸事件で高天原(たかまのはら)から追放されたスサノオノミコトが、出雲の国をさまよっていた時、上流から流れて来た箸を見て川上に人里のあることを知り尋ねて行く場面があります。ここから八岐大蛇(やまたのおろち)退治が始まる訳ですが、これも3000年以上 前のことでしょう?

孔子の頃は既に、料理によって、幾種類かの箸を使い分けていたようです。

   (はし・シャ)竹+叉(さす)
    竹の先端をさすまた状に削って、物を刺して口に運ぶ。
    (今のフォークのルーツと思って良い)

   箸(はし・チョ)竹+者(あつめる)
    竹を長細く削って、食べ物を1カ所に集める。
         (今の菜箸(さいばし)のようなものでしょうか?)
   
 
  筯(はし・チョ)竹+助(たすける)
    物をつまむ際に助けとなるもの。(今の一般的な竹箸)

 梜(はし・キョウ)木+夾(はさむ)
    木を細く削って、ものを夾(はさ)むもの。 (今の一般的な木の箸)
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)殿様(とのさま)一緒(いっしょ)食事(しょくじ)をする(とき)は、殿様(とのさま)神棚(かみだな)にお(そな)(もの)をしている(あいだ)に、まず一口(ひとくち)毒味(どくみ)をして、安全(あんぜん)(たし)かめた(うえ)殿様(とのさま)にすすめた。
 
〔 親御さんへ 〕

何も孔子が毒味までしなくたって・・・?とも思いますが、魯公は日に四度の食事をとっていたといいますし、朝食以外は必ず楽器の演奏付きであったとありますので(微子第十八)、それだけ人の出入りが激しく、毒を盛られる危険も少なくなかったのではないでしょうか?(孔子も主君の危機管理に神経を尖さざるを得なかった)

この当時は、身分によって食事の回数にも決まりがあり、王は四飯(日に四度の食事)・諸侯は三飯(三度)・大夫は二飯(二度)とされていたようです。魯公は周室の直系であるとは云え諸侯ですから、三飯でいい筈なのに、王を真似て四飯にしたのでしょう。

現代人は、朝食・昼食・夕食と日に三度の食事をとるのが当たり前と思っておりますが、これはごく近代になってからのことでありまして、それ迄は一日二食がどの国でも当たり前でした。一日三食になるのは、日本では江戸の後期、西洋では産業革命以降と云われます。

一日の摂取カロリーも、1600kcal以下であったと思われますが、それでも立派に力仕事を
こなしている。現代の成人の標準カロリー2400kcalは多過ぎるのではないでしょうか?今の日本人の糖尿病発症率は、世界平均の6.9倍といいますから、明らかにカロリーの摂り過ぎ、食い過ぎですよ。
 

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