郷黨第十 244

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原文                   作成日 2005年(平成17年)7月から9月
入公門、鞠躬如也。如不容。立不中門。行不履閾。過位、色勃如也。
足躩如也。其言似不足者。攝齊升堂、鞠躬如也。屏氣似不息者。
出、降一等、逞顔色、怡怡如也。
沒階、趨進、翼如也。復其位、踧踖如也。
 
〔 読み下し 〕
公門(こうもん)()るに、鞠躬(きっきゅう)(じょ)たり。()れられざるが(ごと)くす。()つに(もん)(ちゅう)せず。()くに(しきい)()まず。(くらい)()ぐれば(いろ)勃如(ぼつじょ)たり、(あし)(かく)(じょ)たり。()()うこと()らざる(もの)()たり。(もすそ)(かか)げて(どう)(のぼ)るに、鞠躬如(きっきゅうじょ)たり。()(おさ)めて(いき)せざる(もの)()たり。(いで)一等(いっとう)(くだ)れば、顔色(がんしょく)(はな)って、怡怡(いい)(じょ)たり。(かい)(つく)せば、(はし)(すす)むこと、翼如(よくじょ)たり。()(くらい)(かえ)れば、踧踖(しゅくせき)(じょ)たり。
 
〔 通釈 〕
王宮の正門に入る時は、身をかがめて頭を下げ、中に入れてもらえないような態度をとった。門に立ち止まる際には、主君の通る中央は避け脇に寄った。敷居を踏まずまたいで通った。

主君のお立ち台を通り過ぎる際には、顔色を引き締め刻み足で通る。席についた時には、多言せず口数は少ない。堂に昇る時は、衣の裾を踏まないように少しかかげ、身をかがめて畏れ謹むようにして昇った。

主君の前では息を殺して額ずいた。退いて堂から降りる時には、階段を一段一段降りるごとに緊張がほぐれて、なごやかな顔付になる。階段を降りきると、両袖を翼のように張って小走りして席に戻る。その際、お立ち台の前を通り過ぎる時には、又刻み足で通る。
 
〔 解説 〕

子供の頃、敷居を踏むと祖母に厳しく叱られたものですが、祖母が論語を読んでいる姿など、一度も見たことがありません。昔の人は論語など読まずとも、日常の生活の中で、孔子の礼儀作法が自然な形で浸透していたのでしょう。玄関の敷居を踏んで靴や下駄の泥でもつけたら、後から来る人の着物の裾を汚してしまいます。これ位は常識だったんですね。茶道では畳の縁(へり)を踏まないと聞きますが、ここから来たものでしょうか?
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)がお(しろ)正門(せいもん)(とお)(とき)には、(ふか)くおじぎをしながら(はい)った。(もん)()()まる(とき)は、殿様(とのさま)(とお)中央(ちゅうおう)()(わき)()った。敷居(しきい)(とお)(とき)は、()まないようにまたいで(とお)った。殿様(とのさま)(まえ)(とお)()ぎる(とき)は、緊張(きんちょう)した面持(おもも)ちで(きざ)(あし)(とお)った。(せき)につくと無駄口(むだくち)一切(いっさい)たたかない。殿様(とのさま)が「くるしゅうない、ちこうよれ!」と(めい)じると、(はかま)(すそ)()まないようにちょっとたくしあげ、(ふか)くおじぎをしながら(すす)()る。(まえ)()ると(いき)(ころ)してぬかずいた。殿様(とのさま)から「さがってよし!」といわれると、(あと)ずさりしながら(せき)にもどる。(せき)にもどると、やっとほっとした面持(おもも)ちになる。
 
〔 親御さんへ 〕

「面持ち」や「無駄口をたたく」や「たくし上げる」や「額ずく」など、小学生の子供に分かるだろうか?ですって?大丈夫!みな「小学国語辞典」に載っている言葉です。ないのは「刻み足」くらいのものですから、これは親御さん自ら動作で説明してやって下さい。「抜き足、差し足、忍び足」とは違いますよ!あれは泥棒のすることです。
 

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