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原文
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作成日 2005年(平成17年)7月から9月 |
入公門、鞠躬如也。如不容。立不中門。行不履閾。過位、色勃如也。
足躩如也。其言似不足者。攝齊升堂、鞠躬如也。屏氣似不息者。
出、降一等、逞顔色、怡怡如也。沒階、趨進、翼如也。復其位、踧踖如也。
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〔 読み下し 〕 |
公門に入るに、鞠躬如たり。容れられざるが如くす。立つに門に中せず。行くに閾を履まず。位を過ぐれば色勃如たり、足躩如たり。其の言うこと足らざる者に似たり。斉を摂げて堂に升るに、鞠躬如たり。気を屏めて息せざる者に似たり。出て一等を降れば、顔色を逞って、怡怡如たり。階を没せば、趨り進むこと、翼如たり。其の位に復れば、踧踖如たり。
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〔 通釈 〕 |
王宮の正門に入る時は、身をかがめて頭を下げ、中に入れてもらえないような態度をとった。門に立ち止まる際には、主君の通る中央は避け脇に寄った。敷居を踏まずまたいで通った。
主君のお立ち台を通り過ぎる際には、顔色を引き締め刻み足で通る。席についた時には、多言せず口数は少ない。堂に昇る時は、衣の裾を踏まないように少しかかげ、身をかがめて畏れ謹むようにして昇った。
主君の前では息を殺して額ずいた。退いて堂から降りる時には、階段を一段一段降りるごとに緊張がほぐれて、なごやかな顔付になる。階段を降りきると、両袖を翼のように張って小走りして席に戻る。その際、お立ち台の前を通り過ぎる時には、又刻み足で通る。
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〔 解説 〕 |
子供の頃、敷居を踏むと祖母に厳しく叱られたものですが、祖母が論語を読んでいる姿など、一度も見たことがありません。昔の人は論語など読まずとも、日常の生活の中で、孔子の礼儀作法が自然な形で浸透していたのでしょう。玄関の敷居を踏んで靴や下駄の泥でもつけたら、後から来る人の着物の裾を汚してしまいます。これ位は常識だったんですね。茶道では畳の縁(へり)を踏まないと聞きますが、ここから来たものでしょうか?
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様がお城の正門を通る時には、深くおじぎをしながら入った。門に立ち止まる時は、殿様が通る中央を避け脇に寄った。敷居を通る時は、踏まないようにまたいで通った。殿様の前を通り過ぎる時は、緊張した面持ちで刻み足で通った。席につくと無駄口は一切たたかない。殿様が「くるしゅうない、ちこうよれ!」と命じると、袴の裾を踏まないようにちょっとたくしあげ、深くおじぎをしながら進み出る。前に出ると息を殺してぬかずいた。殿様から「さがってよし!」といわれると、後ずさりしながら席にもどる。席にもどると、やっとほっとした面持ちになる。
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〔 親御さんへ 〕 |
「面持ち」や「無駄口をたたく」や「たくし上げる」や「額ずく」など、小学生の子供に分かるだろうか?ですって?大丈夫!みな「小学国語辞典」に載っている言葉です。ないのは「刻み足」くらいのものですから、これは親御さん自ら動作で説明してやって下さい。「抜き足、差し足、忍び足」とは違いますよ!あれは泥棒のすることです。
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