子罕第九 235

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原文             作成日 2005年(平成17年)3月から6月
子曰、衣敝縕袍、與衣狐貉者立、而不恥者、其由也與。
 
〔 読み下し 〕
()(のたま)わく、(やぶれ)れたる縕袍(おんほう)()()(かく)()たる(もの)()ちて()じざる(もの)は、()(ゆう)か。
 
〔 通釈 〕

孔子云う、「破れた綿入れの上衣を着て、上等な狐や貉の毛皮を着た人と並び立っても、少しも気後れすることのないのは、きっと由(子路)くらいのものだろうな」と。
 

〔 解説 〕

きかん坊子路の面影が彷彿として来る孔子の一言です。子路は些事にこだわらない豪胆な性格の持ち主だったようですが、前回紹介したキネシオロジーテストで子路の意識レベルを測定してみると、650と出ます。顔淵が600ですから、子路はその上の意識、梵天と如来の中間位の境地を得ていた人物だったんですね。スマートさに欠け、どちらかと云えば野暮ったい感じのする子路ですが、純情一途な男だったようです。

男は何と云っても純情でなくてはいけませんな!ヒネったりクネったり、技巧を凝らしたような奴は信用できません。その点に関しては、女性は男の何倍も眼力を持っていますから、純情か不純かは一目で見抜いてしまうようです。女にモテないような男は仕事もできない!と云われますが、これは大旨当っています。記録に残っていませんから何とも云えませんが、子路は結構モテた男だったのではないでしょうか。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「(あな)のあいたコートを()て、立派(りっぱ)(かわ)ジャンを()(ひと)(なら)んでも、平気(へいき)でいられるのは(ゆう)()())くらいのものかな?」と。
 
〔 親御さんへ 〕

雍也第六で孔子は「文質彬彬として、然る後に君子なり。(外見と中身がバランス良く調和しているのが、本当の君子である)」と述べておりますから、外見に無頓着な子路のことが気になっていたのでしょうが、一向に頓着しない子路の様子を見て、「野暮な外見を補って余りある程の中身があれば、まあそれはそれでいいか!?」と思っていたのかも知れません。

外見が大事か?中身が大事か?などと、極端な二者択一で考えるのは、そもそもが間違っています。外見も中身もどちらも大事なんです。次篇郷党第十で見られる通り、孔子は大変オシャレであり、又グルメでもありました。そして、人類を代表するような大人物でもありました。ダサイのもダメですし、薄っぺらなのもダメなんですね。

それでも「イヤ、外見よりも中身が大事だ!」と言いたいのであれば、子路か顔回のように、キネシオロジーテストで600以上を打つような大人物になってから言いなさい!親がダサイと子もダサクなりますから、責任重大です。
 

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