子罕第九 231

上へ


原文            作成日 2005年(平成17年)3月から6月
子曰、後生可畏。焉知來者之不如今也。四十五十而無聞焉、
斯亦不足畏也已。
 
〔 読み下し 〕
()(のたま)わく、後生(こうせい)(おそ)るべし。(いずく)んぞ(らい)(しゃ)(いま)()かざるを()らんや。四十(しじゅう)五十(ごじゅう)にして()くこと()くんば、()(また)(おそ)るるに()らざるのみ。
 
〔 通釈 〕
孔子云う、「青年諸君は無限の可能性を秘めておって、末恐ろしいものがある。どうして後輩達がいつ迄も先輩に及ばないなどということがあろうか。しかし、四十五十になってもパッとしないようでは、最早そこ迄の人物で、先を期待するのは無理だろう」と。
 
〔 解説 〕

「今の若い者は!」などと、現代と同じことが当時も云われていたのでしょう。孔子は「そんなもんじゃない!若者は皆無限の可能性を秘めているのだ!」と、期待を込めて云っておりますが、後段が何とも手厳しい。「四十五十になってもパッとしないようでは最早それ迄!」というんですからね。四十五十を、四十代五十代と拡大解釈しても良いかと思います。

老子は「大器は晩成す」(大人物は早成するものではなく、徐々に徐々に大成して行くものである)と述べておりますから、「四十五十でパッとしなくとも、六十七十で花が咲けばいいんじゃないか?八十九十で実を結べばいいんじゃないか?」と思われる人がいれば、それはそれで良いでしょう。長寿社会ですからね。但し、それには「れば・たら」が付く。それ迄長生き出来たら・それ迄ボケがこなければ、という。

「死生命あり」で、自分で自分の寿命は決められませんし、ボケたら研鑽を積むことはできません。ですから、本当に頑張れるのは、元気で正気な「今」というこの時しかない、一日一日「今」という時の積み重ねしか無い訳です。「これがダメならあれがある、あれがダメならそれがある」とばかりに、半端グセで生きて来た人生は、花も咲かないし実もならないんです。

毎週日曜の午後6:30から、TBS系で「夢の扉」という番組があって、宮沢りえちゃんがナレーションで「今日頑張ったご褒美に明日がある」と語っておりますが、「今(今日)頑張らない人には明日(未来)はない」ってことでしょう?あったとしても、ご褒美としての明日ではなくて、後悔としての明日ってことでしょう?

高学歴社会の落とし穴は、安直にベターを選択することばかり長けて、愚直にベストを尽くすことをしなくなることではないでしょうか。与えられた環境・立場でベストを尽くすことをしなければ、本物にはなれんのですね。要領良く生きるだけではダメなんです。喩えてみればベターとは、防具をつけて優劣を競う竹刀の試合、ベストとは、命を懸けた真剣勝負のようなものですね。人生は一日一日が真剣勝負、ごっこをやっているのではありません!
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「君達(きみたち)はみな無限(むげん)可能性(かのうせい)()めておって、将来(しょうらい)(たの)しみだ。自分(じぶん)後輩(こうはい)であるからといって、どうしていつまでも先輩(せんぱい)()いつけないことがあろうか。ただ、(なに)ごとも中途半端(ちゅうとはんぱ)でいい加減(かげん)にやっていると、いつまでたっても基礎(きそ)()につかない。基礎(きそ)ができなければ応用(おうよう)問題(もんだい)()くことができない。大人(おとな)になると毎日(まいにち)応用(おうよう)問題(もんだい)連続(れんぞく)だから、君達(きみたち)のお(とう)さんお(かあ)さんは、日々(ひび)応用(おうよう)問題(もんだい)()きながら(きみ)(たち)(そだ)てているんだよ。応用(おうよう)問題(もんだい)(なか)でも一番(いちばん)(むず)しいのは(なに)か、()かるかな?そう、子育(こそだ)て、つまり君達(きみたち)立派(りっぱ)(そだ)てることだ。だから君達(きみたち)は、自分(じぶん)でできることは(おや)からいわれる(まえ)率先(そっせん)してやりなさい。予習(よしゅう)復習(ふくしゅう)・あいさつ・整理(せいり)整頓(せいとん)時間(じかん)厳守(げんしゅ)などなど」と。
 
〔 親御さんへ 〕

当会青年部の塾名「後畏塾(こういじゅく)」は、本章「後生畏るべし」からとって命名したものです。人生の応用問題の中で一番難しいのは「子育て」ということですが、難しいからこそやり甲斐もあるし生き甲斐もある。泣き笑いもあり、苦楽もある。

子育てはどこの国でも大抵母親が担っておりますから、世界中のお母さん達は、みんな一大事業をやっている訳ですね、それも何年も経たないと結果の出ない事業をコツコツと・・・。これには男は完全脱帽ですよ!かなわない。子は国の宝なんだから、政府はもっと真剣に子育て支援を考えないといけませんね。

子供が小学校を卒業する迄は、母親がじっくりと育てた方が良いことくらい、誰でも分かっているのですから、それ迄は夫婦共働きしなくてもいいような社会システムを作ってあげないと、お母さんつぶれちゃうよ!「昔の母親は立派だった!今の母親は一体どうなっているんだ!?」などと、バカなことを云ってはいけない。

そもそも昔は家事労働そのものが大変だったし、女性の働き口がそんなになかったから、
母親は手内職でもしながら家に居るしかなかったんですね。必然的に子供と一緒に居る時間がたっぷりとれた。外で稼いで来るのは、専ら男の仕事と相場が決まっていた。だから昔は妻のことを「家内(かない)」(家の内を切り盛りする人)と云ったのですが、今は家電製品の普及で、家事労働はかなり軽減されたけれども、家事そのものがなくなった訳ではない。炊事・洗濯・掃除は相変わらずある。それを、家事が楽になった分、家事・育児にプラスして外で稼いで来い!と云われたんじゃあ、女性はたまったものではない。

日本の今のお母さん達の仕事は、昔よりも過重になっているのではないでしょうか?今の
お母さん達は「家内」ではなくて、「家外(かがい)」或は「家内外(かないがい)」と呼ばなくてはなりませんね。お母さんが外に働きに出るのは、子供が中学生になってからで充分、それでもちゃんと生活できるような社会システムを早く作ってあげないとダメだよ。それができる迄、男どもはもっとしっかり外で稼いで来い!週休二日制で休みが増えた分、早出・残業をもっとやれ!寝ずで働け!(と強く自分に言い聞かせる私でありました)
 

子罕第九 230 子罕第九 231 子罕第九 232
新論語トップへ