述而第七 157

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原文                  作成日 2004年(平成16年)7月から11月
子曰、自行束脩以上、吾未嘗無誨焉。
 
〔 読み下し 〕
()(のたま)わく、(そく)(しゅう)(おこな)うより以上(いじょう)は、(われ)(いま)(かつ)(おし)うること()くんばあらず。
 
〔 通釈 〕

孔子云う、「束脩を納めて入門した以上は、私は未だ嘗て直接指導しないなどということはなかった」と。
 

〔 解説 〕

束脩とは乾し肉を十枚束ねにしたもので、入門の際に師に贈る品とされた。現代で云えば、入学金或は入会金のようなものと思って良いでしょう。

前漢の武帝が儒教を国教に定めてから儒学が盛んとなり、高名な師匠には何千人もの弟子が殺到したと云われます。しかし、師匠が直接指導するのは限られた高弟だけだったようで、一般の弟子達は高弟から指導を受けた。これが所謂「塾頭」の始まりですね。ただこの文章を読みますと、孔子の時代はまだそのようなシステムにはなっておらず、師が直接弟子達に教えていたようです。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「入学(にゅうがく)(きん)(おさ)めて正式(せいしき)入門(にゅうもん)したからには、(みな)直弟子(じきでし)として平等(びょうどう)(あつか)います。(けっ)してえこひいきはしませんからね!」と。
 
〔 親御さんへ 〕
季氏第十六を見ますと、孔子は息子の鯉と雖も特別扱いはしなかったと、弟子の
陳亢(ちんこう)が語っております。
 
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