述而第七 154

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原文                  作成日 2004年(平成16年)7月から11月
子之燕居、申申如也、夭夭如也。
 
〔 読み下し 〕
()(えん)(きょ)するや、(しん)(しん)(じょ)たり、(よう)(よう)(じょ)たり。
 
〔 通釈 〕
孔子が家でくつろいでいる時は、ゆったりとしていつもなごやかであった。
 
〔 解説 〕

孔子は身の丈2メートルを超える大男であったといいますから、亡くなったジャイアント馬場くらいはあったのでしょう。こういう大男が、にこにこしながらゆったりとくつろいでいる様を「申申如たり、夭夭如たり」と云うのでしょうね。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)(いえ)でくつろいでいる(とき)は、いつものびのびとにこにことしておられた。
 
〔 親御さんへ 〕
越後弁で「じょんのび(ゆったりとくつろぐ)」という方言がありますが、語源は案外この章かも知れませんよ。
 
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