述而第七 152

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原文                  作成日 2004年(平成16年)7月から11月
子曰、默而識之、學而不厭、誨人不倦。何有於我哉。
 
〔 読み下し 〕
()(のたま)わく、(もく)して(これ)(しる)し、(まな)びて(いと)わず、(ひと)(おし)()まず。(なに)(われ)()らんや。
 
〔 通釈 〕
孔子云う、「沈思黙考して確信を得た真理を心に刻み、広く学ぶことを厭わず、人に教えて飽きることがない。私の取り柄と云えば、こんな所かな」と。
 
〔 解説 〕

為政第二に「学びて思わざれば則ち罔く、思うて学ばざれば則ち殆し」とあります。深く考え、広く学ぶというのが孔子の学問の仕方でありますが、ここにもう一つ「人に教える」ということが加わる。書経に「教うるは学ぶの半ばなり(人に教えるということは、実は半分は自分が学ぶことなのだ)」とある。これはどういうことなのでしょうか?

深く考え・広く学ぶというのは、あくまでも自分自身の問題ですから、独り善がりでも許されますが、人に教える・語るとなると、相手に対して責任が生じます。好い加減なことでは済まされません。自分が理解していないことは人に説けませんから、相当の準備が必要になります。

準備作業には大体三段階ありまして、一は自分が理解していることに間違いはないか?異説はないか?逆説はないか?これの確認作業が要る。つまり、一層広く学ぶことが自分自身に要求される。二は異説・逆説があったとしても、自分の考えに揺らぎはないか?確信を持てるかどうか?これの反芻作業が要る。つまり、一層深く考えることが求められる。三は確信が
持てたなら、その考えを人に理解してもらえるかどうか?語る言葉の翻訳作業が要る。

つまり、人の言葉を鸚鵡返しにするのではなく、自分の言葉に置き換えてみることが必要となる。一確認作業・二反芻作業・三翻訳作業を通して、やっと少しわかったかな?となるんですね、本当の所は。

ですから私が、「十年以上も論語やって来たんだから、もうそろそろ地元の小学生を集めて
寺子屋をやりなさい!『時習塾(じしゅうじゅく・学びて時に之を習う)』をやりなさい!独り善がりの自己満足だけでは、本当に学んだことにはなりませんよ!!」と、口を酸っぱくして云うんです。子供論語を始めたのも、実はこういう想いがあったればこそなんですが、中々分かってもらえんようだね。

小学4年生以上は学童保育がないから、共働きの親御さん達は皆頭を抱えているんだよ。毎日学習塾にやれる程の経済的余裕なんかないんですよ。月〜金の午後3時から6時迄の三時間、毎日子供論語を一章ずつ教えて、後は勉強を見てやる。小学生程度の勉強なら、誰だって見てやれるでしょう。夏休みには、各地の『時習塾』の子供達と一週間の合同合宿をやる。爺さん姥さんでは体力が持たないから、その時は青年部に協力してもらう。

部活や学習塾ではやれない「論語」を教えるから『時習塾』の存在価値があるんです。その時は分からなくても、子供達の脳に論語の文言や意味が刷り込まれていれば、将来その子は必ず世の中の為になって役に立つ存在になるんです。坂本龍馬も勝海舟も西郷隆盛も高杉晋作も、皆そうだったんですから。二三人は出て欲しいね、この
クラスから、『時習塾』塾長が。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった「沈黙(ちんもく)して意識(いしき)集中(しゅうちゅう)する。(かたよ)らず(ひろ)(まな)ぶ。要点(ようてん)をまとめてノートに()く。これを()(かえ)していると、自然(しぜん)(あたま)()くなるんだよ」と。
 
〔 親御さんへ 〕

子供に集中力をつけさせるにはどうしたら良いか?多くの親御さんが悩んでおられるのではないでしょうか。これは臨床心理学の金井まゆみ先生から教わったことですが、スポーツでイメージトレーニングが有効なのは、イメージすることによって、実際に体を動かす時に使う脳と同じ部分が働く、つまり、同じ脳波になるので、繰り返し繰り返しイメージすることで、フォームが矯正されて来るのだそうです。

集中できない子に集中しろ!と叱っても無理な話しですから、何かに集中している自分を
イメージさせる。これを何回か繰り返していると、自然に集中力がついて来る。その際気が散らないように、人工的な音は出来るだけ遮断する。遮断が無理ならば、小川のせせらぎや小鳥のさえずりのCDを流す。要は脳波の問題、とのことでした。

証明してみましょうということで、400名いた受講生全員にステンレス製のスプーンが渡され、粘土でこれと同じスプーンを作っている自分をイメージしてみましょうと云われて、イメージの中でどうにか粘土のスプーンが出来上がります。これに銀粉を振って本物そっくりに仕上げ
ます。「はいそれでは本物のスプーンを手に持って曲げてみましょう!」と声がかかります。「アッ、曲がりそうだ!」と思った瞬間にグニャリとスプーンが曲がりました。

そこで金井先生日く、「これは念力でも超能力でもありません。物理的な力によって曲がったのです。大して力を入れてないのに曲がったように感じますが、実際には同じ力が加わって曲がった。ステンレスだから曲がらないという脳波が、粘土だから曲がるという脳波に変わっただけ。これがイメージの力です」と締めくくられました。

テレビなどでスプーン曲げの公開実験を時々やりますが、今までに一度も曲がった事が
なかったので、この時は本当にびっくりしました。大した力も加えていない感じなんですね。殆どの人が成功しまして、中にはグニャグニャにねじれた人もおりました。曲がったスプーンを土産に持って来ましたが、人間というのは、いかに自分で作った先入観や固定観念に騙され易い生きものであるか、改めて思い知らされました。
 

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