雍也第六 134

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原文                    作成日 2004年(平成16年)4月から7月
子游爲武城宰。子曰、女得人焉爾乎。曰、有澹臺滅明者。行不由徑、
非公事、未嘗至於偃之室也。
 
〔 読み下し 〕
子游(しゆう)()(じょう)(さい)たり。()(のたま)わく、(なんじ)(ひと)()たりや。(いわ)く、澹臺滅(たんだいめつ)(めい)なる(もの)あり。()くに(こみち)()らず、公事(こうじ)(あら)ざれば、(いまだ)(かつ)(えん)(しつ)(いた)らざるなり。
 
〔 通釈 〕
門人の子游が武城の長官となった。孔子は、「お前は部下にしっかりした人材を得たか?」と尋ねた。子游は、「はい、澹臺滅明という者がおります。この人は公明正大で、道を行くにも近道や抜け道をせず、公用でなければ私の部屋に来たことがありません」と答えた。
 
〔 解説 〕

子游 姓は言 名は偃 字は子游。十哲の一人で文学(学問)の人。澹台滅明 
姓は澹臺、
名は滅明 字は子羽(しう)。

澹臺滅明は孔子の門人ですが、子游の話し方からすると、この時はまだ入門していなかったのかも知れません。滅明は孔子も驚く程の醜男(ぶおとこ)であったと云われます。滅明が入門したての頃、顔を見てびっくりした孔子は、大した才能もなかろうと高を括っていましたが、一度教えを受けるとよくその行いを修め、節操のある人物であることが分かった。

孔子は晩年「私は言葉だけで人を見て宰予で失敗し、容貌だけで人を見て子羽で失敗した」と述懐している。滅明は元は武城の人ですが、孔子の死後呉に行き、弟子三百を数える程の大人物として諸侯に聞こえたと云われます。
 

〔 子供論語  意訳 〕
弟子(でし)子游(しゆう)()(じょう)という(まち)代官(だいかん)になった。孔子(こうし)(さま)は、「部下(ぶか)優秀(ゆうしゅう)(ひと)はいるかね?」と(たず)ねた。子游(しゆう)は、「はい、澹臺滅(たんだいめつ)(めい)という(ひと)がおります。この(ひと)(なに)ごとも()正面(しょうめん)からがっぷりと()()んで、小手先(こてさき)でごまかすようなことは(いた)しません。余程(よほど)大事(だいじ)(よう)でもなければ、いちいち(わたし)()(わずら)わすことのない、(じつ)(たの)もしい(おとこ)です」と(こた)えた。
 
〔 親御さんへ 〕
孔子の眼力を晦ます程の容貌とは、澹臺滅明は一体どんな顔をしていたのでしょうか?福笑いの置き場所を間違えたような面相だったのでしょうかね。それにしても、滅明「明かりが滅する」という名も変わっています。明滅ならば、明かりが点滅する灯台のような意味にも取れますが、滅明となると真っ暗闇です。

滅明が生まれた時、赤ん坊の顔を見た親はびっくり仰天、「ああ、この世は闇だ!」とはかなんで、滅明(明かりが滅する)などという無責任な名前をつけたのでしょうか?そう云えば、私の知り合いに「ヤナカンジ」という変な名前の男がおりますが、性格は誠に「好い感じ」なんですよね。漢字は「簗 寛治」と書くんですけど。
 
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