雍也第六 131

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原文                   作成日 2004年(平成16年)4月から7月
子曰、賢哉也。一箪食、一瓢飮、在陋巷。人不堪其憂、回也不改其樂。
賢哉回也。
 
〔 読み下し 〕
()(のたま)わく、(けん)なるかな(かい)や。一箪(いったん)()一瓢(いっぴょう)(いん)陋巷(ろうこう)()り。(ひと)()(うれ)いに()えず、(かい)()(たの)しみを(あらた)めず。(けん)なるかな(かい)や。
 
〔 通釈 〕
孔子云う、「えらいもんだなあ回は。一椀の飯に一椀の汁で、むさ苦しい路地裏の荒屋(あばらや)に住んでおる。普通の人なら貧乏に堪えられず、愚痴をこぼす所であろうが、回は愚痴一つ云わず楽しそうに暮らしている。大したもんだ回は」と。
 
〔 解説 〕

願回は、「赤貧洗うが如き」生活をしていたようで、栄養不良から、二十才の時既に髪が真っ白だったと云います。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「(えら)いもんだなあ(がん)(かい)は。雨漏(あまも)りのする(いえ)で、一杯(いっぱい)のごはんに一杯(いっぱい)のみそ(しる)だけという(まず)しい生活(せいかつ)にもかかわらず、学問(がくもん)()()んでいる。普通(ふつう)(ひと)はもっと()(いえ)()みたい、もっとおいしいものを()べたいと不平(ふへい)()うだろうが、(がん)(かい)不平一(ふへいひと)()わず結構(けっこう)(たの)しそうに(くら)している。(たい)したもんだね(がん)(かい)は」と。
 
〔 親御さんへ 〕

123章でも述べましたが、願回は41才の若さで亡くなっております。一杯のごはんと一杯のみそ汁だけでは、いかに気力気力とった所で、体力がもたんでしょう。体力が衰えて来れば、気力も自然に衰えて来る。「人間の本質は魂であり、肉体は乗り舟に過ぎない」と云っても、肉体をないがしろして良いということではありません。「健全な精神は健全な肉体に宿る」というのも真実ですから、健康管理も大切です。

釈迦が麻麦(まばく)の行を終えて山里に降りて来た時、村娘からすすめられたミルク粥を食べて、涙を流して悟ったと云います。「肉体を極限まで痛めつける難行苦行の中に悟りはない。極端な安楽の中にも悟りはない。平凡な現実の中にこそ悟りの縁(よすが)がある」と。

これが有名な「中道の悟り」ですね。免疫学の権威・安保(あぽ)教授は云う、「無理し過ぎてもダメ、楽し過ぎてもダメ。無理はガン、楽はデブ。ほどほどが肝腎!」と。
 

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