雍也第六 129

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原文                   作成日 2004年(平成16年)4月から7月
季氏使閔子騫爲費宰。閔子騫曰、善爲我辭焉。如有復我者、
則吾必在汶上矣。
 
〔 読み下し 〕
()()閔子騫(びんしけん)をして()(さい)たらしめんとす。閔子騫(びんしけん)()わく()()(ため)()せよ。()(われ)(また)する(もの)あらば、(すなわ)(われ)(かなら)(ぶん)(ほとり)()らん。
 
〔 通釈 〕

魯の大夫李氏が、門人閔子騫を費の代官」に登用しようとして使者を遣わした。閔子騫は、「私にはそのような才能はありません。どうぞご家老様に鄭重にお断り申し上げて下さい。それでももし私に任官せよと再度仰せつけられるようでしたら、私は斉との国境にある汶水のほとりに逃げて行く所存です」と云った。
 

〔 解説 〕

閔子騫 姓は閔 名は損 字は子騫。十哲の一人で徳行の人。先進第十一で、「孝なるかな閔子騫」と、孔子をして云わせしめる程の親孝行者であった。孔子の弟子達は、いずれも出処進退のはっきりした人物ばかりですが、中でも閔子騫は、良いものは良い悪いものは悪いと、はっきりし過ぎる傾向があったようです。今で云う潔癖症ですね。
 

〔 子供論語  意訳 〕
()(くに)大臣(だいじん)()()が、弟子(でし)閔子騫(びんしけん)()という(まち)代官(だいかん)採用(さいよう)しようとして、使(つか)いの(もの)をよこした。閔子騫(びんしけん)は、「(わたし)政治(せいじ)苦手(にがて)でお(ひき)()けすることができません。どうぞ(わたし)(かわ)ってお断(ことわ)(もう)()げて(くだ)さい。それでも(さい)()(めい)じになるようでしたら、(わたし)(せい)(くに)亡命(ぼうめい)するつもりです」と()った。
 
〔 親御さんへ 〕
閔子騫は潔癖な人で、白黒をはっきりさせないと気が済まない性格だったようです。この当時三桓(孟孫・叔孫・季孫の御三家)が専横を極めておりましたから、季孫氏の領地である費の代官を務めることは、閔子騫の潔癖な性格が許さなかったのかも知れません。費くらいの小邑(しょうゆう・小さな町)など、いくらでも治められる人ですから。
 
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