公冶長第五 119

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原文        作成日 2004年(平成16年)2月から3月
子曰、已矣乎。吾未見能見其過、而内自訟者也。
 
〔 読み下し 〕
()(のたま)わく、()んぬるかな。(われ)(いま)()()(あやま)ちを()て、(うち)(みずか)()むる(もの)()ざるなり。
 
〔 通釈 〕
孔子云う、「ああどうしようもないなあ!私はまだ自分の犯した過ちに気付いて、自責の念から己の非を悔ゆる者を見たことがない」と。
 
〔 解説 〕

人間は、知って犯す過ちよりも、知らずに犯してしまう過ちの方が何倍も多い生きものです。孔子の云う「自訟(じしょう)」とは自己訴訟、つまり、知らずに犯してしまった過ちがなかったか?内なる裁判官に問うてみて、悔い改めなさい!ということですね。
 
大聖人の云うことは皆同じですね、釈迦は「八正道」、イエスは「懺悔」を説く。反省⇒自訟⇒改過、人生はどうもこれの繰返しのようです。自訟してみると、こっ恥ずかしくて、人様のことなどとやかく云えなくなりますよ、本当に。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「いやになってしまうなあ!(ひと)(あら)(欠点(けってん))(さが)しは上手(じょうず)なのに、どうして自分(じぶん)(あら)気付(きづ)いて(あらた)めようとしないのだろうか」と。
 
〔 親御さんへ 〕
反省して自分の至らなさに気付いた時、自己嫌悪に陥って、自分自身を責め苛(さいな)まないと気が済まない「自虐症」の人を時々見掛けます。これは止めた方がいい、魂を傷つけてしまいますから。
 
人は誰でも過ちを犯すものですが、「過ちて改めざる。之を過ちと云う」と孔子もいっている。要は、過ちに気付いたら、悔いて之を改める。これで罪は許されるんです。いつ迄も過去の非を引きずってはいけない。
 
「菜根譚(さいこんたん)」の前・80章に『悔既往之失、不如防将来之非・既往の失を悔ゆるは、将来の非を防ぐに如かず』とありますが、自己嫌悪に陥りがちな人は、その都度この言葉を思い出して唱えてみて下さい、ハッとして吾に返りますから。
 
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