公冶長第五 115

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原文         作成日 2004年(平成16年)2月から3月
子曰、伯夷叔齊、不念舊惡。怨是用希。
 
〔 読み下し 〕
()(のたま)わく、(はく)()(しゅく)(せい)は、旧悪(きゅうあく)(おも)わず。(うらみ)(ここ)(もっ)(まれ)なり。
 
〔 通釈 〕
孔子云う、「伯夷と叔斉は潔癖な人であったが、罪を憎んでも人を憎むような人ではなかった。だから、人を怨んだり人から怨まれたりするようなことは、殆どなかったようだ」と。
 
〔 解説 〕

伯夷(兄)・叔斉(弟)はBC1100年頃の人で、二人とも清廉潔白な人物であったと云われる。二人は孤竹国の公子であった。父は弟の叔斉に後を継がせようとしたが、叔斉は兄の伯夷に譲ろうとし、兄も又弟に譲ろうと互いに譲り合い、遂には二人とも公子の身分を捨ててしまった。
 
彼らは文王を慕って周に行く途中、武王が殷の紂王を伐つ計画を知り、これを不義として武王を諫めるが聞き入れられなかった。武王が紂王を伐ち天下が周の治世となった際、たとえ紂が暴君とは云え、下臣である武が君を誅する事は不義であるとして、周の粟(ぞく)(食料)を食らうことを潔しとせず、首陽山に隠れ、わらびを採って飢えしのぐが餓死してしまう。
 
伯夷と叔斉の哀れな最期を詠んだ江戸時代の川柳に、「ひからびた 死骸があると わらびとり」というものがあります。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「(はく)()(しゅく)(せい)(まが)がったことが大嫌(だいきら)いな兄弟(きょうだい)であったが、かと()って、(つみ)(にく)んでも(ひと)(にく)むような(ひと)(たち)ではなかった。(ひと)(うら)むことのない(こころ)(ひろ)(ひと)(たち)だったようだね」と。
 
〔 親御さんへ 〕
潔癖性の人は不義や不正を憎むあまり、人を許すということが中々出来ないようです。「不正は断じて許せない!」とする気持は結構ですが、これが昂ずると、人を裁かなければ気が済まなくなって来る。どうもここが潔癖症の人を待ち構えている落とし穴のようですが、人を裁けるような人間などいないんですね。人を裁こうとする気持が起きた時は、伯夷と叔斉を思い出して「罪を憎んで人を憎まず!」と、肝に銘じたらいいでしょう。
 
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