公冶長第五 099

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原文          作成日 2004年(平成16年)2月から3月
子曰、道不行、乘桴浮于海。從我者其由與。子路聞之喜。
子曰、由也好勇過我。無所取材。
 
〔 読み下し 〕
()(のたま)わく、(みち)(おこ)なわれず、(いかだ)()りて(うみ)(うか)ばん。(われ)(したが)わん(もの)()(ゆう)なるか。()()(これ)()きて(よろこ)ぶ。()(のたま)わく、(ゆう)(ゆう)(この)むこと(われ)()ぎたり。(ざい)()(ところ)()からん。
 
〔 通釈 〕
孔子が、「乱れた国に居る気はしない。桴に乗って海外にでも行ってみようか。その時わしについて来るのは由かな?」と軽い冗談を云った。これを聞いた子路は真に受けて、どうだい!イザとなればやっぱり俺様の出番だ!とばかりに一人ではしゃいだ。

これを見た孔子は、「やれやれ、あいつは本気で行く気だわい。由の勇ましさにはわしも適わんが、ところでお前は桴の材料はどうするんだい?」と云ったので、一行の中から笑いが起こった。
 
〔 解説 〕

流浪中とはいえ、孔子一行のほほえましい情景が目に浮かぶようです。新註(朱子以降の解釈)では、結語の「無所取材」を「取り材(はか)る所無し」と、材(ざい)を裁(さい・思慮分別)の意味に読んで、「すぐに舞い上がって思慮分別を失ってしまう子路をたしなめた」と、殊更堅苦しく解しておりますが、ちょっと違うようですね。

「イザという時のお伴はやはりお前かな?」と云えば、舞い上がって分別を亡くしてしまうこと位百も承知の上で子路に云っている訳ですから、舞い上がるだけ舞い上がらせておいて、「ホラ!やっぱり分別が足りない。塩梅(あんばい・程合い)の分からん奴だなあ、お前は!!」などとは云わんでしょう。意地悪ってもんですよ、それなら孔子は。

分別を欠いた人間に、「お前は分別が足りない!」と諭した所で、ピンと来ないんですね、本人は。どこが・何が思慮分別を欠いているのかを。子路の性格を知り抜いている孔子ですから、こういう人間には、叱られるよりも人前で笑われた方が余程効き目があること位、先刻承知でしょう。「お前はそうやってはしゃいでいるけれど、ところで桴の準備はもうできたのかい?」と云われれば、「あっ、そうか!そこ迄は考えていなかった。又やっちまった!いけねえ、いけねえ!!」となるものなんですね。

論語の中の弟子の登場回数では、子路が断トツで四十箇所以上ありましょうか、口答えしたりしてなんだかんだと叱られてはおりますが、孔子は、純真で・飾らない・一本気の子路が一番可愛いかったんですよ。編者はきっと分かっていたんでしょう、このことを。だから子路のエピソードを最も多く載せた。

顔回や有若や曽参のような模範生しか登場しなかったら、後世これ程論語が広く読まれることもなかったのではないでしょうか。やんちゃできかん坊でナイスガイの子路が頻繁に登場するから面白いんですよ、論語は。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)がある(とき)弟子(でし)(たち)(むか)って、「(みだ)れた(くに)には()()きた。(いかだ)()って海外(かいがい)旅行(りょこう)でもしようか。その(とき)(わたし)お伴(とも)をとしてくれるのは(ゆう)かな?」冗談(じょうだん)()われた。弟子(でし)()()冗談(じょうだん)()()けて、「エッヘン、どんなもんだい!イザという(とき)はやっぱり(おれ)(さま)のお()ましだ!!」と、()弟子(でし)(たち)(まえ)一人(ひとり)ではしゃいだ。これを()孔子(こうし)(さま)が、「やれやれ、こいつは(なん)というあわて(もの)だ。(いさ)ましいのは(わたし)以上(いじょう)だが、これこれ(ゆう)よ、ところで(いかだ)はどうやって(つく)るんだい?材料(ざいりょう)には(なに)使(つか)うんだい?」と()()(たず)ねると、()()は、「イヤー、アノー、ソノー?」と()ったきり、その()にへたり()んでしまったので、一同(いちどう)大笑(おおわら)いとなった。
 
〔 親御さんへ 〕
孔子より九才年下の子路は若い頃喧嘩早いヤクザ者で、ある時孔子の鼻をあかしてやろうと、孔家に押しかけて来ました。孔子「お前の得意とするものは何かね?」子路「俺様は剣術が得意だ!」 孔子「学問は?」 子路「そんなものには用がない!」 孔子「人の上に立っても、諌めてくれる人がいなかったら、正しい道を踏み誤るだろう。自分に直言してくれる友人が誰もいなかったら、世間から相手にされなくなるだろう。木だって矯めるから真っ直になる。馬には鞭が、弓には檠(ゆだめ・弓矯)が要るように、人間にも我が儘な性格を矯め直す学問が必要なのだ。己を正し・修め・磨いて初めて人の役に立つ人材となるのだ」と説きますが、子路はなおも「南山の竹は矯め直さなくても始めから真っ直で、これを切って矢を作れば、犀(さい)の皮も貫き通すと聞いている。ならば生まれつき優れている者に学問などいらない!」と食い下がる。

これを聞いた孔子は、「お前の云うその南山の竹に、矢の羽を付け鏃(やじり)を付けてこれを磨いたならば、犀どころではない。天下をも射通すことができよう」と答えた。孔子にこう云われた子路は返す言葉に窮し、顔を赤らめ「謹んで教えを受けん!」と言って直ちに孔子の門に入りました。これが孔子と子路の出会いでありますが、子路が入門してから巷で孔子の悪口を云う者は誰もいなくなった、といいますから、子路は用心棒に雇われたと世間の人は勘違いしたのかも知れませんね。
 
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