里仁第四 087

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原文       作成日 2003年(平成15年)11月から12月    
子曰、父母之年、不可不知也。一則以喜、一則以懼。
 
〔 読み下し 〕
()(のたま)わく、父母(ふぼ)(とし)は、()らざるべからざるなり。(いつ)(すなわち)(もっ)(よろこ)び、(いつ)(すなわ)(もっ)(おそ)る。
 
〔 通釈 〕
孔子云う、「父母の年くらいちゃんと覚えておきなさい。長寿を喜ぶのは当然だが、そろそろお迎えが心配になる年でもあるのだから」と。
 
〔 解説 〕

「いつまでもあると思うな親と金」なる俗言がありますが、そのうちにそのうちにと思っている間に、「親孝行したい時に親は無し」となってしまうケースもままある。昔は親子どころか三世代同居が当たり前でしたから、親はおろか爺さん婆さんの年まで覚えさせられたものです。今は核家族で別々に住む人が多くなりましたし、平均寿命が伸びたせいもあるのでしょうが、親が倒れたり入院したりということにでもならなければ、親が年老いたことに中々気が付かない。

その点長女というのは感心なもので、嫁いでいても、しょっちゅう親を気にかけては電話を
しているようです。ウチだけかと思っておりましたら、廻りの人達に聞いてみても、例外無くそうだ!と云います。姉ちゃんというのは偉いものなんですな、本当に。「一姫二太郎」・長子は女で次子は男が育て易いと云いますが、どうもそれだけではないようですね。長女が親を一番心配しているし、親も長女をあてにしている。こういうことは、親も自分も年をとらないとよく分かりませんね。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)がおしゃった、「お(とう)さんお(かあ)さんの生年(せいねん)月日(がっぴ)はちゃんと(おぼ)えておきなさい。君達(きみたち)一才(いっさい)(とし)をとるたびに成長(せいちょう)して()くが、(おや)一才(いっさい)ずつ(とし)()いて()く。(おや)誕生(たんじょう)()には、(あさ)()きたら一番(いちばん)誕生(たんじょう)()おめでとう!と()ってあげること。その一言(ひとこと)(なに)よりも元気(げんき)(もと)になるんだよ、お(とう)さんお(かあ)さんは」と。
 
〔 親御さんへ 〕

孫が保育園に通っている頃、運動会を見に来いというので行きましたら、「オジイチャンの借り物競争」というのがあって、誰も出たがらないものですから、保母さんが手当たり次第ジイサンらしい人の手を引っ張って、無理矢理グランドの中央に集めました。勿論私も駆り出された訳ですが、その中で一人だけ顔を真っ赤にして保母さんに抗議しているジイサンがいた。

側に寄って聞いてみますと、「僕はジイサンではない!パパだ!」と云っている。どう見たってジイサンにしか見えないものですから、「いいじゃないですか。人数も少ないことだし、ここは一つ協力してやったら!?」と云いますと、本人も納得してスタートラインに立ったのですが、今度は若いママさんが血相を変えて飛び出して来まして、いきなりその男の手を掴むと、「アナタ何をしているの!アナタはオジイチャンじゃなくてパパでしょ!!」と云うや否や連れ去ってしまいました。

百人位のギャラリーがいたのですが、皆笑ったら失礼ですし、かといって寸劇を目(ま)の当たりにしてオカシイし、なんとも妙な雰囲気になりまして、「オジイチャン借り物レース」は中止になりました。「パパさん達もどんどん参加して下さい!」と呼びかければ大勢集まって、ジイサンぽいパパも恥ずかしい思いをせずに済んだと思うのですが、何とも気のきかない若い保母さんではありました。

しかし、ああいう場面では一体どんな表情をしたらいいものでしょうか?本当にオカシかったのですが、笑うに笑えませんし・・・。みんな「苦笑い」のような「忍び笑い」のような複雑な表情を浮かべておりましたが、どうして良いか分からない時には、結局苦笑いするしかないようですね。今度「気品ある苦笑い作法いろは」セミナーでもやってみますか、内藤さんを講師にして。内藤さんの苦笑いは筋金入りですから。
 

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