里仁第四 082

上へ


原文       作成日 2003年(平成15年)11月から12月    
子曰、君子喩於義、小人喩於利。
 
〔 読み下し 〕
()(のたま)わく、君子(くんし)()(さとり)り、小人(しょうじん)()(さと)る。
 
〔 通釈 〕
孔子云う、「できた人物は損得よりも善悪を優先し、下らない人物は善悪よりも損得を優先するものだ」と。
 
〔 解説 〕

前章で仁の土台の階悌について話をしましたので、ここでは義の柱の階悌について語って見たいと思います。義とは、正義・正しい道の事ですが、分かり易く云いますと、善悪の善・正邪の正・理非の理・曲直の直と考えて良いかと思います。

これに階悌があるとはどういうことかと申しますと、私的(プライベート)な義と公的(パブリック)な義とに分けた場合、公的な義が私的な義に優先し、更に私的義・公的義にもそれぞれに
レベルがあり、下位は上位に準ずる、つまり、小義は中義に準じ、中義は大義に準ずるという意味であります。整理してみますと、

〈義の柱の階梯〉

<私的義>
 第一段階 個人レベルの義     
 第二段階 血縁レベルの義(家族レベルの義)        ここ迄が小義

<公的義>
 第三段階 地縁レベル(地域社会・職場レベル)の義   これが中義
   第四段階 人縁レベル(国家・民族レベル)の義            これが大義
 第五段階 時縁レベル(世界・人類レベル)の義            これが大義中の大義

時縁レベルの義は人縁レベルの義に優先し、人縁レベルの義は地縁レベルの義に優先し、地縁レベルの義は血縁レベルの義に優先し、血縁レベルの義は個人レベルの義に優先
するということですね。

例えば、人間のエゴによる人為的な環境汚染は、一国家・一企業・一家族・一個人の問題
では済まされません。全地球レベルの問題として、世界中が取り組まなければどうにもなりません。このレベルで、国家エゴ・企業エゴ・家族エゴ・個人エゴを許してしまったら、地球は人類の住めない星になってしまいます。

地球が人の住めない星になってしまったら、国家も・企業も・家族も・個人も存在できません。義に於いて、私的<公的・小義<中義<大義。 
個人<血縁<地縁<人縁<時縁の序を弁えない人を「ヤボコキ(野暮助)」と云うんです。
  

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「君達(きみたち)損得(そんとく)よりも善悪(ぜんあく)(かんが)えて行動(こうどう)しなさい。善悪(ぜんあく)よりも損得(そんとく)行動(こうどう)するような(いや)しい人間(にんげん)になってはいけません。」と。
 
〔 親御さんへ 〕

(さと)るとは聡(さと)い(鋭い・敏感)の意で、「君子は義に聡く、小人は利に聡い」ととっても良いのですが、〔義と利〕を聡い疎いに分けて整理してみますと、

 1)義に聡く

 利にも聡い

 2)義に聡く

 利に疎い

 3)義に疎く

 利に聡い

 4)義に疎く

 利にも疎い


の四通りになりまして、(2)が君子(3)小人とするならば、では(1)と(4)はなんだ?ということになります。まあ(4)の義にも疎く利にも疎いのは問題外としましても、気になるのは(1)の義に聡く利にも聡いタイプはどうなのか?ですね。

憲問第十四(仮名論語207頁)で孔子は「利を見ては義を思い(利益を得るに当たっては、それが社会正義に叶うものなのかどうかよく考えなさい)」と語っておりまして、利を全面的に否定しておりません。要は、義に叶う利か?義に背く利か?の違いです。

現代のように経済優先の時代ともなりますと、企業経営者が義に聡くても利に疎かったら、会社は潰れ従業員を路頭に迷わせることになってしまいます。逆に、利に聡くても義に疎かったら、これ又雪印のように潰れてしまいます。義に聡く利にも聡くなかったら、企業経営はやって行けません。経営者は義にも利にも聡くなければならんが、利の前に義を考えろ!利を見ては義を思え!損得よりも善悪を優先しろ!ということですね。これは立派な「企業君子」ですよ。
 

里仁第四  081 里仁第四 082 里仁第四  083
新論語トップへ