学而第一 001

上へ


原文
                 作成日 2003年(平成15年)3月から 4月
子曰、學而時習之、不亦説乎。有朋自遠方来、不亦乎。
人不知而不慍、不亦君子乎。
     
〔 読み下し 〕

()(のたま)わく(まな)びて(とき)(これ)(なら)う、(また)(よろこ)ばしからずや。(とも)遠方(えんぽう)より(きた)()り、(また)(たの)しからずや。(ひと)()らずして(うら)みず、(また)君子(くんし)ならずや。
 

〔 通釈 〕
孔子云う、「学んだことを繰り返し実践していると、自然にいい習慣が身について来る。これは何とも嬉しいことではないか。志を同じくする友がはるばる遠方からたずねて来て、忽ち意気投合して語り合う。これは何とも楽しいことではないか。世間に認められようが認められまいが、そんなことは気にせず一層研鑽に励む。これは何とも立派なことでは あるまいか」。と
   
〔 解説 〕
習慣は第二の天性と云われます。習慣には「思いの習慣・意(い)」、「言葉の習慣・口(く)」、「行いの習慣・身(しん)」の3種類がありますが、習慣のこわい所は、良きにつけ悪しきにつけ、知らず知らずいつの間にか本人の一部になってしまうことではないでしょうか。ですから、昔の人は自己の「身(しん)・口(く)・意(い)」の 調教に心を砕いた訳です。

19世紀スイスの哲学者アンリ・フレデリック・アミエルの箴言(しんげん・戒めの言葉)に次の ようなものがあります。
「心が変われば態度(捉え方)が変わる。態度が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば人生(運命)が変わる」と。


これを順序を逆にして云うならば、「人生(運命)を変えたければ、人格を変えなさい。人格を変えたければ習慣を変えなさい。習慣を変えたければ、態度を変えなさい。態度を変えたければ心(思いの癖)を変えなさい!」となりましょうか。
   
〔 一言メッセージ 〕
『良き人生は良き習慣に宿る』
  
〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「(おそ)わったことをくりかえし練習(れんしゅう)していると、いつの()にか上達(じょうたつ)して、(いま)までできなかったことができるようになる。ヤッター!これはうれしいね。(とお)くへ()して()った友達(ともだち)が、ひょっこりとたずねて()て、お互(たが)いに(むかし)自分(じぶん)にタイムスリップして(かた)()う。これは(たの)しいね。(ひと)()()たなくたってコツコツと努力(どりょく)する(ひと)。サラリーマンノーベル(しょう)田中(たなか)耕一(こういち)さんのように。これは本当(ほんとう)立派(りっぱ)なことだね」と。
    
〔 親御さんへ 〕

親の、子に対する贈り物の中で、最良最大のものは一体何でしょうか?財産でしょうか? 学歴でしょうか?地位や名誉でしょうか?私は、子供に「良き習慣を身に付けさせること」ではないかと思っております。

習慣は第二の天性と云われておりますが、良き人生は良き習慣に宿り、 悪しき人生は悪しき
習慣に宿っているようです。習慣には、行為の習慣や言葉の習慣だけではなく、思いの習慣(ものごとの捉え方や考え方の習慣)もありますから、油断はできません。


子供の幸せを願わぬ親など一人もいないと思いますが、通常は親の方が子供よりも先に ヨイヨイになり、あの世に帰りますから、子供の一生の面倒を親が見るという訳には参りません。子供は子供自らの力で、良き人生を切り拓いて行ってもらう他はありません。良き人生も悪しき人生も、総ては習慣の善し悪しで決まります。

心も頭も体も柔らかい小学生のうちから、良き習慣を身に付けさせたいものですね。大人になってから直すのは、大変に骨が折れます。良き習慣を身に付けさせる為の訓練を、「躾(しつけ)」と申しますが、きちんと躾ることが親の子に対する一大使命であるとも云えるでしょう。

小学生のうちにきちんと躾ておくべきものとしては、

   一、時間を守る習慣を身に付けさせる。
   二、整理整頓の習慣を身に付けさせる。
   三、ちゃんと挨拶できる習慣を身に付けさせる。  

の三つ位のものでしょう。

  1.朝起きたら家族全員で「オハヨー!」の挨拶。
  2.決められた時間の5分前にスタンバイ完了。
  3.履物を脱いだらきちんと揃える。
  4.呼ばれたら「ハイ!」と素直な返事。
  5.好意に対して「ありがとう!」の感謝の言葉。


これくらいは、まず親御さんから実践してみて下さい。子は親の後ろ姿を見て育つ生きものですから。
   

  学而第一 001 学而第一 002
新論語トップへ