泰伯第八

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【068】
()(のたま)わく、()(おこ)り、(れい)()ち、(がく)()る。

【通釈】
孔子云う、「詩(美しい言葉)によって情緒の発達を促し、礼(正しい躾)によって社会の規範を身につけ、楽(美しい音楽)によって豊かな情操を育む。これが児童教育の基本である」と。

【解説】
孔子が編纂したとされる「礼記」に、家庭教育の順序が長々と述べられておりますが、要約すると本章のような内容になります。
弟子の中の誰かが、「子供をどうやって教育したら良いでしょうか?」と質問した際に、孔子が答えたものではないでしょうか。
「先ず正しい言葉づかいを教えなさい→次にしっかりと躾をしなさい→そして音楽によって豊かな情操を育みなさい」と云うのは、今でも家庭教育の基本ですね。

【069】
()(のたま)わく、(たみ)(これ)()らしむべし。(これ)()らしむべからず。

【通釈】
孔子云う、「人民を政道に従わせることは出来るが、一人一人にその内容を理解させることは難しい」と。

【解説】
この章を「人民は黙って政治に付き従わせておくべきで、いちいち内容を説明すべきものではない」と解釈している人が結構いるようですが、ここで使われている可(べし)・不可(べからず)は、〜せよ!〜するな!の命令形ではなく、できる・できないの可能形として使われています。
この文章に、雍也第六053番をつないで読むと一層意味合いがはっきりすると思います。
「民は之に由らしむべし。之を知らしむべからず。中人以上には以て上を語るべきなり。中人以下には以て上を語るべからざるなり・(人民を政道に従わせることは出来るが、一人一人にその内容を理解させることは難しい。なぜかと云うと、中根以上の人には高尚なことを云っても理解できようが、下根の人には高尚なことはなかなか理解できないからである)」と。
論語の各章は、結論だけズバッと語られているものが殆どですから、他の章を持ってきてつなぎ合わせると、意味が一層鮮明になる所が結構あります。
言葉のパズルでもするつもりで、関連すると思われる文章をつなぎ合わせて読んでみるのも、論語の一味違った楽しみ方ではないでしょうか。

【070】
()(のたま)わく、(ゆう)(この)みて(ひん)(にく)めば(みだ)る。(ひと)にして不仁(ふじん)なる、(これ)(にく)むこと(はなはだ)しければ(みだ)る。

【通釈】
孔子云う、「勇を好むことは結構だが、貧乏を極端に嫌って社会を憎むようになると、蛮勇を振るって世を乱すもととなる。薄情で思いやりのない行いをしないよう心掛けるのは結構だが、人の不仁な行為を極端に嫌って指弾(しだん)すると、却って冷酷非情な行為を誘発して世を乱すもととなる」と。

【解説】
勇は人間にとって大切な徳目の一つですが、義の伴わない勇は、どんなに粋がってみたところで蛮勇に過ぎません。
後段の不仁者に対する接し方には、ハッとさせられます。
不人情の行為を見て、「こいつは許せんな!」と思うと、ついつい指弾したくなるのが凡人の性ではないでしょうか。
イエスであれば、「汝ら人を裁くな!」と云う所なのでしょうが、孔子は、「不仁者に対して、この薄情者!と指弾しても、本人は少しもそう思っていないから、何を!こしゃくな!!と、却って反発を招くことになる。いつか必ず気付く時が来るから、待ってやるしかない。それよりも、自分にもそういう所がないか?反省してみることだ!」と云った所でしょうか。
どんなに善いこと正しいことであっても、本人が気付かなければ、有難迷惑余計なお世話ですからね。
本人が気付くまで辛抱強く待ってやるというのは本当に難しい、ついつい手が出たり口が出たりします。
一体神様はどれだけ偉いお方なのでしょうか?万人に自由意志を与えて好き勝手にさせながら、本人が気付くまで気が遠くなるほどの期間待っておられる。
もうそろそろ人間も気付かなくちゃいけませんね、分かち合い・助け合い・生かし合い・許し合うことに。
いつまでも、奪い合い・騙し合い・裁き合い・殺し合うことなんか、やっていられませんよ。

【071】
()(のたま)わく、()(しゅう)(こう)(さい)()()りとも、(きょう)()(りん)ならしめば、()()()るに()らざるのみ。

【通釈】
孔子云う、「いかに周公のような豊かな才能があろうとも、驕り高ぶり且つけちん坊であったら、最早そこまでの人物で、見るに値しない」と。

【解説】
周公(旦・たん)とは、孔子の母国・魯の始祖で孔子が理想の人物と仰いだ聖人。(孔子より6百年程前の人)
孔子は吝嗇・ケチを大変嫌っておりましたが、これは孔子だけでなく聖人全てに共通するようですね。
釈迦は「施しをせよ(布施)」・「長者の万灯より貧者の一灯」と云い、イエスは「与えよさらば与えられん」と云っておりますから、ケチは紛れもなく悪徳と云うことでしょう。
そう云えば、ケチで出世したなどと云う話しは聞いたことがありませんね。

【072】
()(のたま)わく、(がく)(およ)ばざるが(ごと)くするも、(なお)(これ)(うしな)わんことを(おそ)る。

【通釈】
孔子云う、「学問と云うものは、どれ程やっても追いつけなくて、もうこれで良い!と云うことはないものであるが、やり続けているうちに、目的と手段がすり替っていないか?本末転倒してはいまいか?と、常に気にかかるもので ある」と。

【解説】
未だ解明されざる物事の真の姿(実相)を探求することを、本来の学問と云いますが、解明するというのは並大抵のことではありません。
既に解明されていることを学ぶのは、学問とは云わず学習と言います。
ですから、学習には既に答えがあるけれども、学問にはまだ答えがない。いつ答えが出るかも分からない。一生かかっても出ないかもしれない。
それでも学問の道を志すというのは、大変な覚悟がいる。
今なら大学院に行って研究室に残るという手もありますが、孔子の時代、学問の道を志すなどと云うのは、それこそ、野垂れ死に覚悟の命懸けのことだったのではないでしょうか。

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