H18/11・ 後畏塾

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『儒学の神髄』

記録 佐々木塾・伊藤民子

平成181123
於:漢学の里 諸橋轍次記念館

一、道徳(徳の道)とは?

青年部「後畏塾」が発足して三年経ちますが、青年部諸君が主催して特別例会をやるのは今回が始めてであります。青年部では「孫子の兵法」全編を終わって、現在「十八史略」をやっている所ですが、春秋〜戦国時代が終了、次回からいよいよ秦に入る所まで来ました。非常にゆったりとしたペースでやってきました。漸くリズムをつかんで来ましたから、これから少しスピードも上がるでしょう。

「十八史略」は、近頃はあまり読まれないようだけれども、上に立つものの必読書です。江戸時代の武士は全員読んでいたそうです。聖人・君子、英雄・豪傑、名君・暴君、策士・詭弁家、殺し屋・盗人、等々様々な人物が入り乱れて織り成すノンフィクションドラマが展開されております。今回もその中から面白そうなエポックを取り上げてみようかと思ったのですが、郷土の先哲、諸橋轍次先生の記念館が会場ということですから、そうそうバカ話もできません。そこで、「儒学の神髄」と題して、ちょっとマシな話でもしてみようかと思います。

その前に、最近気になってしょうがないのが、親の子殺し・子の親殺し、子どもの自殺、役人のデタラメ、教師の生徒に対するワイセツ行為など、そこまでやるか!?と云うような道徳の乱れ、否、不道徳・悪行の横行であります。

そこで、まず始めに、道徳について語ってみたいと思います。

皆さんは、道徳というと「〜すべからず!」という不可集(べからず集)を以って道徳と勘違いしていないでしょうか?例えば「盗むべからず」「犯すべからず」「殺すべからず」「嘘をつくべからず」のように。実はこれは皆さんだけでなく、大半の日本人が「べからず集」を以って道徳と勘違いしているんですね。

残念ながらこれらは道徳と云わず「 (かい) 」と云います。 〜してはいけない!というのは。

この戒が後に戒律となり、→ 律法となり→法律となって行きます。余談になりますが、「戒」で一番滑稽なのが、死んでから故人に付ける「戒名」なるものですね。皆さんはあれを当たり前のことと思っているかもしれませんが、本来の釈迦仏教とは何の関係も無い日本独特のものです。

本来の戒名は、出家者に入門を許し、比丘になった時に授ける「授戒」を云うのですが、日本では僧侶に賢いのがいたのでしょう、鎌倉時代以降寺の金儲けの為に故人に対して付けるようになった。(庶民に迄戒名が付けられるようになったのは江戸時代に入ってから)これは元々中国で行われていた(おくりな)・生前の行いを尊んで死後に贈られる諡号(しごう)の習慣をちゃっかり拝借したんですね、日本仏教が。

ついでに云っておくと、位牌も仏教とは何の関係もありません。位牌のルーツは、尸→面→木主→位牌となったものですが、これも元々儒教の仕来りを日本仏教が拝借したものです。ですから、位牌も戒名も、本来の仏教とは何の関係も無いんです。現在寺がやっているような、一文字いくら、院号が付くと何百万円などど云うのは、お釈迦様が聞いたら腰を抜かします。全員破門でしょう、日本の坊主は!!

話を戻しまして、今ほど道徳は「〜すべからず!」ではない・「戒」ではない!と申しましたが、では何なのか?と云うと「〜すべし!」・「かくあるべし!」と云うのが道徳の根本なんです。「可為集」です。これは皆さんちょっと意外に感じられるかも知れませんが、皆さんのみならず、70歳前の人は殆んど知らないでしょう。75歳以上、昭和5年以前に生まれた人なら分かります、「日本国民かくあるべし!」ということが。

何故か?「教育勅語」を叩き込まれたからです。 国民道徳の根本を!

教育勅語とは、国民道徳の根本と国民教育の理念を謳ったものです。これが戦後GHQにより禁止されてしまった為、日本人は民族としての道徳観を失ったまま60年以上も漂流し続けてきた訳ですが、それでも大混乱に陥らずに済んできたのは、昭和一桁生まれがまだ健在だからです。著名人で云えば、渡部昇一、日下公人、谷沢永一、岡崎久彦、小室直樹、竹村健一の世代ですね。

だがしかし、この人達もあと10年もすれば、皆鬼籍に入るか、ヨイヨイになってしまいます。ですから、現代日本の緊急課題は、この10年以内に、教育勅語を完全復活させるか?或いはこれに代わる「日本国民の誓い」のようなものを確立・成文化して、現代日本人の蒙を啓かなければなりません!

親子2代に渡る60年間も漂流し続けて来たのですから、もうこれ以上の漂流は許されません。これ以上続けると難破します。つまり、日本人は道徳難破民族に落ちぶれてしまいます。道徳の失われたところには、経済の花も、文化の花も、芸術の花も咲かないんです。咲いたとしてもアダ花、根が無いからすぐ枯れてしまいます。

「べからず集」を守った所で、人の徳はちっとも磨かれません。立派な人間にはなれません。「すべし! かくあるべし!」とされることを実践して、初めて徳が磨かれる、人格が高まる訳ですね。徳が磨かれないものを道徳・徳の道とは云わないんです!ここをまずしっかり押さえておいて下さい。

そこで、日本民族の国民道徳の根本とされる「教育勅語」とはどんなものか?明治天皇の御名御璽の入った原本のコピーをお配りしておきました。論語をやっている皆さんであれば、これくらいはルビ無しで読めると思うので、ゆっくり一緒に読んでみましょう。

教育勅語

朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニコヲ樹ツルコト深厚ナリ。
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス。
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シコ器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ。
是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン。
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス。
朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其コヲ一ニセンコトヲ庶幾フ。

明治二十三年十月三十日

  御名御璽

さあ、いかがですか? ここには民族の伝統精神「 忠 」と「 孝 」及び「かくあるべし!」とする12の徳目が述べられております。どれも当たり前のことばかりで、複雑で難しいことなど一つもありません。しかし、この当たり前のことが今出来ていない訳です。それでは一つ一つ順を追っていきましょう。

まず、日本民族の伝統精神ですが、それは「 忠 」と「 孝 」の二つである!と云っています。
「忠」とは、真心を尽くすこと、「孝」とは親を敬うことであります。

「忠」は三段階から成り立っておりまして、
  一は、国家・民族に対して真心を尽くす。
  二は、地域社会・郷土に対して真心を尽くす。
  三は、血族・家族に対して真心を尽くす。

つまり、一は祖国愛、二は郷土愛、三は家族愛と云うことですが、この三つはワンセットなんです。今度、新しい教育基本法に愛国心を盛り込んだことが云々されているけれども、愛国心とは、祖国愛・郷土愛・家族愛がワンセットになって醸し出されるものですから、この三つが大前提にならなければ、どんな文言を盛り込もうとも、愛国心など湧く訳がないんです!

「 ♪ 兎追いしかの山〜、小鮒釣りしかの川〜」という歌を唄うとジーンと来るのは、あの歌には家族愛・郷土愛・祖国愛すべてが詠い込まれているからなんですよ! 日本人の真心がね!!

     

 

「孝」も三段階から成り立っております。
   一は、親の存命中は孝養の誠を尽くす。・・・・・・・・・・親孝行
   二は、親の死に際しては、哀悼の誠を尽くす。・・・・・・葬式
   三は、親の死後は、祖先として敬虔の誠を尽くす。・・・法事

この「忠」と「孝」が日本民族の伝統精神ですから、しっかり押さえておいて下さい。実力主義の時代に、忠だの孝だの随分古臭いことを云うではないか?などと思ったら大間違いです!「忠」の家族愛が欠落しているから、親の子殺し・子の親殺しが起きるんではないですか!?「孝」の親孝行が欠落しているから、子どもの自殺が流行るんではないですか!?親不孝の最たるものは、子どもの自殺でしょ? 

次は、日本人かくあるべし!とする「12徳」であります。
     一は、「父母に孝に」・・・・・・・親孝行しなさい。
     二は、「兄弟に友に」・・・・・・・兄弟仲良く。
     三は、「夫婦相和し」・・・・・・・夫婦仲睦まじく。
     四は、「朋友相信じ」・・・・・・・友を信頼し合い。
     五は、「恭儉己を持し」・・・・・・謙虚でつつましく。
     六は、「博愛衆に及ぼし」・・・分け隔てなく広く人を愛し。
     七は、「学を修め業を習い、以って智能を啓発し」・・・学問や仕事に励んで、
                                                                      能力を磨きなさい。
     八は、「徳器を成就し」・・・・・・徳を磨きなさい。
     九は、「進んで公益を広め」・・公共の利益を推進し。
     十は、「世務を開き」・・・・・・・・新たな時代を切り拓き。
  十一は、「常に国憲を重んじ、国法に遵い」・・・法治国家として法律を遵守し。
              (同じ年に大日本帝国憲法が施行された)
  十二は、「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」・・・
             国家の非常時には正義の為に勇気を奮って
             国家及び国民の、安・富・尊・栄を死守しなさい。

どうですか? どれも当たり前のことばかりでしょう!?

そして、最後に「朕爾臣民と倶に拳々服膺して、(みな)その徳を一にせんことを庶幾(こいねがう)
」と結んでいる。つまり、この勅語は、天皇が国民に一方的に推しつけるものではなく、天皇自ら国民とともに実践して行きます!と誓っている訳です。これの一体どこがいけないというのでしょうか? 何が問題なのでしょうか?

日本は負けたのだから、占領中はGHQが禁止したのは仕方がないとしても、昭和27428日に占領が解け日本が独立を回復したにもかかわらず、今度は、日教組・日弁連・社会党・共産党・朝日新聞・NHK・岩波書店・日本ペンクラブ・進歩的文化人という輩が寄ってたかって教育勅語を抹殺してしまった。私の友人にも何人かいますが、この人達は本当にどうかしています。マルクス教のマインドコントロールにかかったままです!

昭和22年に「教育基本法」が施行されましたが、あれは占領軍の押しつけたものを直訳したに過ぎません。11か条から成る内容の中に「徳」と云う言葉は一つも出てきません。勿論、祖国愛も郷土愛も家族愛も出てこない。こんなものが国民教育の理念であろう筈がない! 道徳教育など出来る筈がありません!!

今国会で「教育基本法改正案」が成立しそうですが、素案を読んでみると今のものよりマシという程度で、教育勅語に比べたら子供だましのようなものです。国会議員は、道徳の何たるか?を知らないのでしょう。

つまりこういうことなんです。現代日本には、国民道徳の指針を示したものは公式には何も存在しない!ということですね。道徳教育は何も行なわれて来なかったんです。60年間も!! 方針すら無かったんですから。人間がどこまで気高く、立派な存在になれるか? これを教えるのが道徳教育というものなんです。人様に迷惑をかけない為のマナーを教えるのが道徳教育というものではないんです、そもそもが。

いかがですか? ここまで私の話を聞いてこられて、皆さんが今まで道徳と思ってきたこととかなり違うな?と感じられたのではないでしょうか。

今年の7月に土岐の青年会議所に招かれて「日本人の道徳観」について語って欲しいと頼まれましたので、40歳前の青年たちは道徳をどのように考えているのか?アンケートを取ってもらいましたが、90%の人達が「べからず集」を以って道徳と勘違いしておりました。

道徳は、人が人である為に元々無くてはならないものなんですね。人に道徳が無かったら、人間は限りなくサル化してしまう。今、それが起きつつあるのではないでしょうか。人間のサル化が!だから全国のあちこちでサルが街に降りてきて、暴れまわっているんじゃないのかねえ?人間を自分たちの同類と思って。 でなかったら、人を見たら逃げますよ。普通なら・・・。

人間と道徳は、元々切っても切り離せないものなんです。それは何故か? その答えを得るには、人類誕生の秘密と、人間存在の実相に迫ってみる他はありません。
 

二、「中庸書」に見る人間存在の実相

資料 A・B・C をご覧ください。ここからが本日のメインテーマとなります。当会発足以来、14年が過ぎようとしております。この間、「論語」の他に、「孫子」・「老子」・「孟子」・「韓非子」・「貞観政要」・「菜根譚」等々、様々な講義を行ってきましたが、何故か「中庸」書には一度も触れませんでした。

「中庸」は孔子の孫の子思が残したものと云われ、四書の一つに数えられる儒学の基本書でありまして、朱子も註釈を書いておりますが、「中庸」を解説した書物はどれも形而上学的観念論を振り回しているだけで、「だからどうなんだ?」「それでどういうことなんだ?」という問いに耐えうるようなものは、私の知る限り一冊もありません。

特に今日お配りした三節については非常に難解で、聖書の創世記やヨハネによる福音書、或いは、法華経の十如是論を読んでいるような気が致します。

孔子は、高弟と云われる優れた弟子達にも特別な教えや奥義のようなものは何も伝授しなかったと伝えられますが、もしかして、孫の子思だけには何か特別なことを教えたのではないか?奥義を伝授したのではないか?何か図のようなものを指し示しながら、人間存在の実相を説き聞かせたのではないか?どうもそんな気がするんですね、「中庸」を読むと。

孔子と孫の子思はどれ位年が離れていたか?何も記録がありませんが、息子の鯉は孔子20歳の時の子であることが分かっており、鯉が51歳で亡くなった後、曽子が子思を訓育したことも分かっている。曽子は孔子より46歳年下ですから、子思は曽子の45歳年下で、鯉が30歳位の時の子ではなかろうか?と察しがつく。 従って、20歳+30歳=50歳で、子思は孔子より50歳位年下と云うことになる。

孔子が、亡命先から魯に帰国するのが68歳、この時子思は18歳。子思は、父の鯉と違って聡明な人でしたから、18にもなれば充分聴く耳を持っている。孔子が亡くなる74歳迄の6年間に、何らかの奥義が伝授されたのではないか? 孔子の悟り得たことを伝えたのではないか?

こんなことを考えていたときに偶然出会ったのが資料Dのアヤナワンの図であります。この図の詳細は、本年2月と7月の読書課題の必読書に挙げた「良寛の遺言」と「宗教の定義」の二冊に述べられていますから、皆さんもお読みになったと思います。

私はこの図を見たときに一瞬電流が身体を突き抜けるような気がしまして、「ア〜そうか!孔子はこの図を示しながら、子思に真理を教えたのか!?人間存在の実相を教えたのか!?」と直観した訳です。

面白いもので、一つ謎が解けると、次から次へとシンクロニシティーが起きまして、今度は資料Eのチベット密教に伝わる秘図と、Fの三次元物質宇宙を構成する五大元素の意味と作用を紹介した本を贈ってくれる人が現れたり、資料Gの古代エジプトに伝わるハトホルの図を紹介する本を貸してくれる人が現れたりする。

チベット密教「五大の図」も、古代エジプトの「ハトホルの図」も、アヤナワンの図から出たものであることが分かる。「般若心経」は釈迦がアヤナワンの図を地面に描きながら、シャーリー プトラに真理を説いたものが、図が失われ、言葉だけが残ったと云われる。だから般若心経は難解なんですね、現物が無いのに商品説明書だけあるようなものですから。

アヤナワンの図は後に訳の分からないまま「曼荼羅」になり、上部の六茫星の図が胎蔵界曼荼羅、下部の舟形をした図が金剛界曼荼羅に変化したと云われています。

「中庸」も実はそうだったんです、アヤナワンの図が失われて、文字だけが残った。だから、後世の学者が頭を悩ますことになったんですね。

それでは、アヤナワンの図に照らし合わせるとどのようになるのか?お手元の資料を見ながら解説してみます。その前に、読み下し文を一緒に読んでみましょうか!何のことやら分からないと思いますので、普通はどのように解釈されているか? 赤塚忠先生の通釈文を読んでみます。

資料A 「中庸 第一段 第一節」

天命之謂性。率性之謂道。修道之謂教。
道也者,不可須臾離也。可離非道也。
是故君子戒慎乎其所不睹,恐懼乎其所不聞。
莫見乎隱。莫顯乎微。故君子慎其獨也。

天の命ぜる、之を性と謂う。性に率(したが)う、之を道(みち)と謂う。
道を修むる、之を教と謂う。 道なる者は、須臾(しゅみ)も離るべからざるなり。
離るべきは道に非ざるなり。 この故に君子は其の睹(み)えざる所に
戒慎(かいしん)し、その聞こえざる所に恐懼(きょうしん)す。 隠れたるよりは
見(あら)はるるは莫(な)く、微(かす)かなるより顯(あきら)かなるは莫(な)し。
故に君子は其の獨(どく)を慎むなり。

天が(人間に人間として生きるべき根本のものとして)命じたもの、
これを性というのである。 その性にしたがってお皆ってゆくところに成りたつもの、
これを道という。 (また)この道を(他からの強制によらずに自律的に)修得すること、
これを教えというのである。 (されば)道というものは、(本来)ほんの僅かの間も
(人間から)離れられないのである。 (もしも)離れるなら、(その道は)真の道では
ないのである。 さればこそ、(道に明らかな)君子は (道を修めて行くのに、
その外に顕れているところはいうまでもなく)、 その定かには見えもしない
ところから戒めつつしみ、聞きしれぬところから恐れつつしむ。
(つまり)かくしだてするひめごとほど人前にさらけ出されてうわさの種になるという
たとい (の通りで、もっとも戒むべきことは、人知れぬとにある)。
だから君子はわれとわが身ひとりのまもりを修める(ことを根本とするのである)。

サア、どうかな? 持って回ったような云い方で、「だからどうなの?」と問われて、スパッと答えられる人は恐らくいないでしょう。私がスパッと訳してみますから、皆さんは資料D上の段の飾りなし・飾りありの<完成図>をチラチラ見ながら解説を聴いてください。読み下しの棒線を引いた部分が理解できれば、文章全体の意味が分かると思います。

   

まず、「天の命ぜる、之を性と云う」ですが、「天」とは天地創造の神・造物主のこと。「 (めい) 」とは読んで字の如く、(いのち)分霊(わけみたま)(分身)のこと。従って「天の命ぜる」とは『天地創造の神がご自身の命を分け与えられた存在、つまり、分霊が人間である』になる。

人は、潜在的に全員が神である!ということです。「性」とは神性・仏性のこと。人間は初めから、すべての人に神の種が宿された存在である!ということ。潜在的に全員が神なのだから、当たり前の話ですが。 この神性・仏性のことを「徳性」と云います。

ですから、「天の命ぜる、これを性と云う」とは、『天地創造の神が、ご自身の分霊として創られたのが人間であり、よってすべての人間は神の性即ち徳性を宿した存在である!』となります。

次に「性に
(したが)う、これを道と云う」ですが、「性」とは今云った徳性のこと、「 (したが)う 」とは「率(みちびく)」の意味です。よって『徳性に(みちび)く』となる。「之を道と云う」の道とは、人倫の道のことではなくて、宇宙の理法・法則のこと、神の定めた宇宙の理法です。従って「性に率う、之を道と云う」とは『人間を本来の徳性に(みちび)き無限に進化する存在とする為、神が定めた理法を道と云う』となる。

次の「道を脩むる、之を教えと云う」とは『神が定めた理法を学び修得することを真の教え、つまり、悟りというのである』となる。

以上、棒線の部分を通して読み直してみると『天地創造の神が、ご自身の分け霊として創られたのが人間であり、よってすべての人間は神の種・即ち徳性を宿したる存在である。人間を本来の徳性に率き無限に進化する存在とする為に、神が定めた理法を道と云う。この道、つまり神の定めた理法を学び修得することを真の教え、即ち、悟りと云うのである!』となります。ここが解明できれば、後は比較的簡単です。

神の定めた理法のことを「 (しゅう) 」とも云います。ですからこの文章は「宗教とは何か?」を定義したものでもあるんですね。宗教とは、神仏の定めた理法を学び修得する、つまり、悟りを得ることが眼目ですから。

ここ迄をもう一度整理してみますと、
神の分け霊が→人間であり、人はみな→ 神の種・徳性を宿しており、この徳性を無限に進化させる為に→ 神の理法・道があり、神の理法を学び修得するのが→ 真の教え・悟りである!となる。

天=神(造物主)、命=人間(分霊)、性=神性(徳性)、率=進化、道=理法、脩=修得、教=悟り、に変換して読み下し文に代入してみると、漸く次のフレーズ「道なるものは、
須臾(しゅゆ)も離るべからざるなり・・・・」以降の文章が自然につながって来ます。赤塚先生の訳し方では、なぜ人間がこの理法・道から片時も離れることが出来ないのか?意味が分からず、前後がつながりません。

つまり、子思は孔子がアヤナワンの図を示しながら伝授した奥義・人間存在の実相と悟りの本質を、中庸冒頭でバーンとぶつけて来た訳です。孔子の死後、我こそは、我こそは!と自分勝手な言説を弄ぶ、野狐禅のような門下生が出てきたから・・・。子思の頃は「百家争鳴」で、いい加減な言説が横行していた時代です。時代背景を考えると成る程!!と分かります。

資料Bに移ります。読み下し文を一緒に読んでみましょう。どれ位トンチンカンな訳し方をしているか読んでみます。赤塚先生は苦労して無理矢理通釈したようですが、訳した本人ですら何のことかさっぱり意味が分からなかったと思います。これはもうアヤナワンの図が無いと解析不能でしょう。

資料B 「中庸 第一段 第二節」
 
喜怒哀樂之未發,謂之中。
發而皆中節,謂之和。
中也者,天下之大本也。
和也者,天下之達道也。
致中和,天地位焉,萬物育焉。

喜怒哀樂の未(いまだ)發せざる。之を中(ちゅう)と謂う。
發(はっ)して皆節(せつ)に中(あた)る、之を和と謂う。
中(ちゅう)なる者は、天下の大本(たいほん)なり。
和なる者は、天下の達道(たつどう)なり。
中和(ちゅうわ)を致して、天地位(くらい)し、萬物(ばんぶつ)育(いく)す。

(さて人の行いは、物事にふれて、感情の動きとなることから始まるが、その感情が)
喜・怒・哀・楽などとなって外に表れる前(に、心の平正さがあるべきである、)
それを中という。 この中があらわれると(その行いは)、すべて物ごとに節度に
合致することになる。これを和という。 (だから)中こそは、天下(が秩序正しく
治まるため)の大根本である。 和こそは天下(に)あまねく、(実現すべき)道である。
(このようにして)中と和を実現しつくせば、(人間ばかりでなく)全宇宙の秩序が
いささかのくるいもなくなり、ありとあらゆるものがその成長をとげて、
(全宇宙が繁栄するのである)。

資料 D 二段目の<略図>とある所を見てください。「喜怒哀楽の未だ発せざる、これを中と云う」ですが、喜怒哀楽をそのまま人間の感情の表れと取ったら、この文章は分からなくなります。これは人間の感情を云っているのではなく、ある状態を喜怒哀楽に喩えて云っている。この当時は物質化現象やエネルギーの凝縮作用を表す言葉が無かったのでしょう。

皆さん「老子」を全篇やりましたから、お分かりかと思いますが、老子が難解なのは、暗在系(目に見えない世界)の様相をすべて隠喩で語っているからですね。当時は、エネルギーや非物質や素粒子や波動という概念も言葉も無かったから、仕方がないんです。隠喩で表現するしかなかったんですね。

では、喜怒哀楽の未だ発しない状態とは一体何にたとえたのか?『宇宙に遍満する生命エネルギー
(
エーテル)が凝縮して物質化する以前の状態』を云っている訳です。これを中と云うとあるのは 下図を指します。
         
論語開眼で何度も述べているように、中の原字は下図でありまして、的の中心を射抜くの意。
アタルと読みますが、中はこの図からとった文字です。中とは仏教で云う「空」のことです。
         
次に「発して節に
(あた)る、これを和と云う」ですが次の図、これは陰陽が交わる状態を表した
ものです。資料Gハトホルの図と同じです。

        
そして物質が発生する
図は、発して節に中った状態。つまり、エネルギーが凝縮して物質化した状態。
         
 
下図が「和」。つまり、大調和の下に物質宇宙・三次元宇宙が誕生した状態、仏教で云う。
「色」のこと。
       

次、「中なる者は、天下の大本なり」とは物質以前の「空」の状態、つまり、素粒子エネルギーの状態が大本であって、「和なるものは、天下の達道なり」、このエネルギーが凝縮して三次元物質宇宙が達成されるのである。「色」の状態となる。

次に、「中和を致して、天地位し、萬物育す」の、中和致してと云うのは、色即是空、空即是色、物質からエネルギーへ、エネルギーから物質へと変換する『循環』の様のことを云っている。「天地位し」とは、このエネルギー循環の理法の下にすべてが存在するの意、つまり『諸行無常』のこと。「萬物育す」、万物が生成−繁茂衰退−枯死−生成−繁茂−衰退−枯死を繰り返す、となる。

通して訳してみると『目に見えない生命エネルギーが凝縮して物質化する以前の状態を“中”と云う。これに陰と陽が作用して振動が起こり、生命エネルギーが凝縮して物質化した状態を“和”と云う。三次元物質世界の誕生である。だから、目に見えない非物質世界が原因であり、目に見える物質世界は結果である。物質はエネルギーに変換され、エネルギーは物質に変換されるという色即是空、空即是色の循環が宇宙の法則であり、この法則の下に地球上の万物は、生成−繁茂−衰退−枯死を繰り返すのである』となります。

資料Cをご覧ください。 読み下し文を一緒に読んでみましょう。
いかがですか?今度は何となく分かって来たでしょう?

資料C 「中庸 第三段 第一節」

誠者自成也。而道自道也。
誠者物之終始。不誠無物。是故君子誠之為貴。

誠者非自成己而已也。所以成物也。成己仁也。
成物知也。性之コ也,合外內之道也。故時措之宜也


誠は自ら成るなり。
して道は自ら道(よ)るなり。
誠は物の終始なり。誠ならざれば物(もの)無(な)し。
(こ)の(ゆえ)に君子は之を誠にするを貴(たっと)しと為す。

誠は自ら己を成すのみに非(あら)ざるなり。物を成す所以(ゆえん)なり。
己を成すは仁なり。物を成すは知なり。
性の徳なり、外内(がいない)を合するのは道なり。
故に時に之を
(お)きて宜(よろ)しきなり。

これはAを補足説明し、神の子人間としていかに生きるべきか?己を磨くべきかを説いている。 通釈を読んでみまようか・・・・。これもかなり混乱していて、「で、どうなの?」と聞かれたら、まともに答えられんでしょう。これも訳し直してみましょう。

「誠は自ら成るなり」、誠とは、人間の誠実さを述べているのではなく、これも隠喩で、神の意識・神の意志のことを喩えています。誠=
(ことば)(なる)=神の意志のことです。

『太初に
(ことば)があった。言は神とともにあった。言は神であった。この言は太初に神とともにあった。すべてのものはこれによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった』(ヨハネによる福音書)とあるように、(ことば)とは神の意志のこと。すべてのものが神の意志によって成った。

つまり、鉱物も植物も動物も人間も、すべては神が自らの意志によって創造したものであって、全宇宙が神の意識体の現れである!ということ。

「而して道は自ら()るなり」とは、万物変化(諸行無常)の仕組みは寸分狂いない法則の支配下にあり、この法則から逃れられるものは一つとして無い。つまり、すべては神の法の内にある、ということ。

    アヤナワンの図の三段目、一番左の図を見てください。これが、万物変化の法則を表した図です。

資料Eチベット密教に伝わる“五大の図”と同じです。五大とは、地・水・火・風・空の五大元素の作用によって様々な変化が起きるというものです。 資料Fは、各元素の意味と作用を示したものです。悟りを開いた人は、万物変化の法則から逃れることは出来ないが、この五大を自由自在に使いこなすことが出来るそうです。

五大と似たような考えが古代ギリシャにもありまして、土・水・空気・火を万物変化の根本要素とする「四元素論」がある。

「誠は物の終始なり。誠ならざれば物無し」とは、『すべての存在は神の意志が成らしめているのであり、神のあらしめ・ならしめんとする意志がなければ何一つ存在しない』と云うこと。「是の故に君子は之を誠にするを貴しとなす」、『だから君子は、思いと言葉と行いのすべてを、神の意志・みこころに叶うようにすることを貴ぶのである』。

「誠は自ら己を成すのみに非ざるなり。物を成す所以なり」物とは外物、つまり環境のこと。『神の意志みこころに叶うように生きるということは、己一身のみならず、外物にもその影響を及ぼす。即ち、自らの思いと言葉と行いが周りの環境を作り出すのだ』と云うこと。

「己を成すは仁なり」、『だから身・口・意の拠り所を仁に置きなさい』。
「物を成すは知なり」、『己の身・口・意がすべての環境を作り出すことを知る。
               これが本当の叡智である』。

「性の徳なり、外内を合するの道なり」、『これがすべての人に宿る徳性であり、自他一如なる宇宙の根本原理である』。「故に時に之を措きて宜しきなり」、『だから、何時でも何処でも誰とでも、身・口・意の拠り所を仁に置き、神の子人間同士、大調和して生きなさい!』となります。

いかがでしたでしょうか?

「儒教とは、処世の要道ばかり説いているのかと思っていたが、こんなに奥が深かったのか・・・?」と感じられたのではないでしょうか。中庸書のこれ以外のところは、「子曰く」と皆さんおなじみの言葉のオンパレードですからすらすらと読めるでしょう。今日紹介した三本が特に難解で、漢学者でさえ嫌がる所なんです。「分かりやすく解説してくれ!」などと云われたら、「朱子の集注ではこう」、「仁斎の中庸発揮ではこう」、「徂来の中庸解ではこう」としか答えようがありません。「で、どう云うことなの?」などと聞こうものなら、「自分で考えてみなさい!」と叱られます。

皆さんは今日ここを解明した訳ですから、是非「中庸」を読んでみて下さい。子思が孔子の教えをきちんと整理してくれていますから「論語」の復習にもなるでしょう。四書でやっていないものは、あとは「大学」だけかな? 大学はそう難しくありません。言葉の定義と解説みたいなものだから、哲学書を読める人なら楽でしょう。

尚、今回初めて青年部の例会に参加された方は、「親会の例会と随分違うな?」と思われたかも知れません。その通りなんです。青年部での講義方針は、精神を鍛える・魂を磨くことが主眼ではなく、徹底的に知を鍛える、教養を身につけることが狙いですから。教養を身につけたい方は、どうぞ青年部に参加してください。

本日の講義は以上です。