H15/1 ネオコンと日本の進路

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H15年度夏季会同例会 特別講演 

 「ネオコンと日本の進路」

 1.世界を震撼させたネオコンサバティズム (アメリカ新保守主義)の正体

 2.ブッシュは奏の始皇帝贏政(えいせい)か? 漢の高祖劉邦か?

 3.ネオコンを兵法の観点から眺めれば

 4.治世のリーダーシップ・乱世のリーダーシップ

 5.汝ら国の主(ぬし・国民主権)たらば、盲を絵師(政治家)・聾を楽師(役人)とする勿れ!



本日のテーマは「ネオコンと日本の進路」と云うことで、今世界中を震えあがらせているアメリカのネオコン(新保守主義)とこれに対する備えと構えについて思いつくままに斬り込んでみようかと思っております。

 
「ネオコンなど私達には関係ない!」などと寝ぼけたことは言わないで下さい。  関係があろうがなかろうが、今もそしてこれからも当分の間はアメリカのネオコンで世界中が振り回されることになるのですから、せめて言葉の意味とその中身くらいは知っておきませんと、21世紀の浦島太朗になってしまいますからね。

人は血縁・地縁・人縁・時縁の中で生かされている存在であって、なん人と雖もこの縁から逃れることができない!と常々語っておりますが、時縁、つまり時代の縁が丁度ネオコンの時代巡りに遭遇している訳ですから好むと好まざるとにかかわらず、21世紀はネオコンに引きずり込まれてしまうんですね、世界中が。

問題は何も知らずにアメリカのネオコンに引きずり込まれ、振りまわされ、ボロボロにされて子孫に禍根を残すか、ちゃんと知っておって振り回されているようなフリをしながらも、したたかに子孫が誇れるような立派な国体を残してやれるかどうか?なんですね。そういう意味では小泉さんなんかはこの時代に打って付けの宰相なんですよ。「したたかさ」以外には何の取り柄もない男ですからね、彼は。皆さんだってこの愛する日本をアメリカの腰巾着か・三下奴なんかにしたくはないでしょう!?

孫子曰く「故に善く戦う者は、人を致して人に致されず(戦い上手は人を振り回すことはあっても決して人に振り回されることはない!)」と。 では、人に振り回されない為にはどうするか?「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」ですから、アメリカの云うネオコンとは一体いかなるものなのか?その正体を明かにしてみなくてはなりません

 

(1)ネオコンの正体  

今月の推薦図書にネオコンに関するものを2冊程挙げておきましたので、詳しくはそちらを読んで頂くことに致しまして、要旨をザッとまとめてみますと、主張する所は五項目になろうかと思います。


 
<アメリカネオコンサバティズム(新保守主義)の要旨>

.「アメリカの正義は神の正義、神の正義は世界の正義なり!」
  よって、アメリカの正義に敵対する勢力は、神の正義、世界の正義に敵対する勢力、即ち悪魔の手先と見做す。

.「悪魔の手先に対しては積極的に内政干渉する!」
  アメリカに敵対する政権があれば、積極的に内政干渉してその政権を転覆させる。転覆しなければ戦争を仕掛けて
  叩き潰す。つまり、内科療法が効かなければ外科手術を施す。

.「先制攻撃は躊躇せずどんどんやる!」
  たとえ攻撃を受けなくてもアメリカが危険と見做した勢力に対しはどんどん先制攻撃を仕掛けて悪の芽を摘み取る。

.「国際法などクソ喰らえ!ルールは俺達が作る!」
  国連決議や同盟国の了解など不要。ルールはアメリカが決め、不都合なものは変更する。 これをグローバルスタン
  ダード、否、グローバルダブルスタンダード(二重規範)と云う。

.「アメリカの正義とは、リベラル(自由)&デモクラシー(民主主義)。これを世界に普遍化する迄軍備増強の手を
  弛めない。普遍化したらしたで、今後はこれを守り続ける為に更に軍備を増強する!」 つまり、国庫が続く限りアメリカ
  は永久に軍備増強をし続ける。

この五つのアメリカの主張にツベコベ抜かす奴は地球上から抹殺する。核の先制使用もためらわない。万一核で人類が
滅亡するようなことになっても、アメリカ人は後悔などしない。何故ならば、神の義に殉ずるのであるから。元々天地万物は唯一絶対の神が創りたもうたものなのだから、天地創造の神にお返しするだけのこと。

以上がネオコンの要旨でありますが、神の義に殉ずる行為を最高道徳とする考えは、多神教で何でも有りの日本人にはちょっと理解できないかも知れません。アメリカはプロテスタントの国ですから基本的には聖書主義つまり、神の言葉の絶対権を頑なに守り続けているんですね。イエス・キリストだって神の義に殉じて磔になったのですから、プロテスタントが神の義に殉ずるのは当り前のことなんですね。

神の義に殉ずる行為と云えば、11世紀から13世紀にかけて七回も行なわれた、イスラム討伐の「十字軍遠征」だってそうでしょう。佛教国や儒教国では、十字軍遠征など野蛮人の暴挙以外の何物もないと思われていますが、キリスト教国、特にアングロ・クリスチャンにとっては歴史上の快挙とされているんですね、未だに。

アフガニスタンのタリバン政権を撃った時のブッシュの演説を覚えていますか?十字軍の英雄気取りだったでしょう!そう!ブッシュドクトリン(教義)つまり、ネオ・コンとはアメリカは地球規模で十字軍遠征をやるぞ!と云う宣言なんですよ。云ってみれば「十字軍の亡霊」だね、ネオ・コンサバティズムと云うのは。まぁ、傲慢と云えば傲慢、野蛮と云えば野蛮ですが、当のアメリカ人は大真面目、自分達に課せられたミッション(使命)だと思ってる。「今こそ合衆国建国以来の使命を果たす時が来た!」と考えているんですよ、アメリカのエスタブリッシュメント達は。

ただ、見方によっては、これ程分かり易い主義主張も他にはありません。「我々はこう思う!よってこうやる!!」と明言している訳ですから。内容の如何はともかくとしてもこういうことを堂々と云えるのは、世界中が束になってもかなわないだけの圧倒的な軍事力の裏付けがあるからなんですね。


(2)ブッシュは贏政か?劉邦か?

1991年8月に共産ソ連が崩壊しまして東西冷戦に終止符が打たれた訳ですが、この出来事を歴史になぞらえて「天下分け目の関が原」と上智大学の渡部昇一先生は述べております。戦国の世に終止符を打ち、徳川300年の太平の世が開ける「ターニングポイント」転換点とみている訳ですね。

ものごとが変化し変容を遂げて行く場合、急に変化のスピードが早まる時点を「シンギュラーポイント」特異点、変化が臨界に達しものごとが変容する時点を「ターニングポイント」転換点と申します。お湯を沸かす時を例にとってみると分かり易いかと思います。
 

 ビジネスの場合にも特異点を見抜けるかどうかが勝敗の分かれ目になりますね。転換点に至ってから気が付いてももう手遅れなんですね。特異点の見分け方は「オヤッ!と思う今までにない出来事」・「新しい変化」・「不思議に感じた現象」に遭遇した時にボヤッと見過ごしにせず、なぜそうなったのか?を洞察してみることです。三ヶ所以上の違った場所で似たような変わった現象に出会わしたら新しいトレンドの前兆と思って間違いないでしょう。

さて、この特異点と転換点という視点から、ベルリンの壁崩壊ーーー湾岸戦争ーーー共産ソ連の崩壊ーーーアフガニスタン攻略・タリバン政権解体ーーーイラク攻略・フセイン政権解体という、ここ15年位の世界情勢の流れを見てみますと、私は1991年共産ソ連の崩壊は渡部昇一先生の云う転換点ではなく、特異点であったのではないかと思います。

では転換点はどこか?と申しますと2001年9・11同時多発テロであると思います。つまり、ここから「冷戦」が「熱戦」に変わったんですね。この時点からアメリカの外交戦略がガラリと変わる。それ迄はまがいなりにも国際協調主義をとって来た訳ですが、9・11テロ事件以降、アメリカは国連決議や同盟国の了解が得られなくとも単独で戦うと明言し、その通りアフガニスタンを落とし、2002年6月にブッシュドクトリン即ちネオ・コンをアメリカの国家意志と表明してイラクを攻略している訳です。その国家意志が先程五項目に集約したネオコンの要旨です。この五項目を更に絞って一言集約してみるならば、今後は「アメリカの一極支配で行く!国連や同盟国に気兼ねなどすることなく、アメリカはアメリカの思いのままにやる!!」と云うことですね。これを歴史に照らし合わせてみますと、実はそっくりの事例が古代中国にあります。

戦国末期、小国を併呑した奏・楚・斉・燕・韓・魏・趙の七大列強(今で云えばG7)による合従ー連衡を経て奏が始めて中国全土を統一致しまして中央集権国家を樹立します。 合従とは今で云えば国際連合のようなもの、連衡とは同盟関係のようなものと考えたら良いと思います。

これに終止符を打って統一を果たしたのが奏王羸政(えいせい)・後の奏の始皇帝でありますが、始皇帝が実施した政策の中で大きなものが五つあります。


 
.中央集権体制 (郡県制による専制つまり一元支配)
 
.法律の制定   (新たなルール規定)
 
.度量衡の統一 (グローバルスタンダード)
 
.文字の統一   (小篆による文字情報の一元管理
 
.梵書坑儒       (思想の統一)

これは次のように読みかえれませんか?

 
1中央集権は        アメリカの一極支配。
 
2法律の制定は      アメリカの正義は神の正義、神の正義は世界の正義よってルールは俺達が作る。
 
3度量衡の統一は   アメリカスタンダードはグローバルスタンダード。
 
4文字の統一は      インターネットはアメリカの軍事システムを転用したもの。従ってインターネットを流れる情報は
              エシュロンによりすべて盗聴・把握
                          (世界中で交わされているインターネットはすべてアメリカを経由)

 
5梵書坑儒は         リベラル&デモクラシー以外は悪魔の思想。悪魔の思想を信奉する勢力は叩き潰す。

いかがですか?

昨年の6月1日にブッシュドクトリンが発表された時「何だこれは?ネオコンってのは奏の始皇帝がやったことと同じじゃねえか!ブッシュは奏の始皇帝の生まれ変わりってことか!?」とピーンと来ましたが、その後政治評論家の論評を聞いておりましてもこのことに気付いた人は誰もいなかったようです。つまり、こういうことですね、アメリカはBC3世紀の奏の始皇帝が採った政策即ちネオコンを、AD11世紀の十字軍の兵力即ち強大な軍事力を以って地球規模で展開する、ということなんですねブッシュドクトリンというのは。

奏はわずか15年で崩壊し、漢が立って200年の太平の世を開きますが、ブッシュは奏の始皇帝羸政(えいせい)か?漢の高祖劉邦か?と問われれば、どうも始皇帝のような気が致しますね。ブッシュは恐らくもう一期、大統領をやると思いますがネオコンによる一極支配体制の確立を急ぐあまり国論を二分するような事態が勃発して任期中に暗殺されるか、辞任に追い込まれるのではないでしょうか。

彼の良い所は単刀直入さにありますが、これが却ってアダとなるかも知れませんね。アメリカがプロテスタンティズムの国家である限りネオコンサバティズムは残って行くでしょうが、問題はブッシュの次に来る大統領がどんな奴になるかでしょうね。項羽のような人物が立てば増々混乱に拍車がかかるでしょうし、劉邦のような人物が立てば太平の世が開けるかも知れません。

ちょっとブッシュから目を離せませんね。口下手でヤンチャでキカン坊のように見えますが、これ程はっきりものを云う大統領はケネディー以来ではないでしょうか。私はああいうタイプは好きですね、ハッキリしてますし、子路みたいな所がありますからね。とても教養があるようには見えませんが、ナイス・ガイですよアイツは。クリントンのようなイヤラシサがありませんから。

ローマ史で云うとBC46年にシーザーが独裁者になりますが、ブルータスに暗殺されてから混乱が続きBC30年にオクタビアヌスがこれを平定してローマ帝政を開始することになりますから、これも15年から16年かかっています。シーザーがルビコン河を渡った時と現在のブッシュアメリカの状態も似ていますね。元老院令(国連決議のようなもの)を無視してポンペイウスを撃ちに行く訳ですから。


(3)ネオコンを兵法の観点から眺めれば

さて、そのネオコンでありますが、これを兵法の観点から眺めてみるとどうなるのでしょうか?皆さんは「孫子の兵法」を二度やっておりますから、高野はきっと「五事七計」からネオコンを眺めてみようと云う魂胆だな?と気が付いた方がおられるかも知れません。正にそういうことなんです。五事七計から眺めてみると、どの程度の威力を持ったものかが鮮明になるんですね、ネオコンというものが。

孫子の講義の中で何度も申し上げている通り、孫子の兵法は始計第一から用間第十三迄の全十三篇から成っておりますが、冒頭の始計第一は総論であり結論を述べたものであって恐らく最後に書き上げられたものであろうと語ってまいりました。その冒頭にある「五事」とは判り易く云えば五つの基本政策のこと「七計」とは七つの条件のことでありますが、孫武はこの五事七計を見ればその国の盛衰や存亡が手に取るように分る!と云い切っております。

五事とは一曰道・二曰天・三曰地・四曰将・五曰法というものでしたね。

  一、道とは民をして上と意を同じくせしむるものなり。故に之と死すべく、之と生くべくして畏危せざらしむるなり。
     つまり、 「国家ビジョンや方針が明確に打ち出されており、国民がそのビジョンの下に意志統一されていること」

 
  
二、天とは陰陽・寒暑・時制なり。つまり、「時流やタイミングに適合していること」

   
三、地とは遠近・険易・広狭・死生なり。つまり、「環境をうまく利用すること」
          
*二、三、は戦略と考えていいですね。

   
四、将とは智・信・仁・勇・厳なり。
        
つまり、「リーダーに智謀・信義・仁愛・勇猛・威厳の資質が具わっていること」


   
五、法とは曲制・官道・主用なり。 
        
つまり、「システムやルールが明確で装備に手抜かりがないこと」

以上が五事でありますが、まぁこれはコンサルティングで云えば企業診断のようなものでありまして今流行のトリプルAとかBとか云うような格付けと思って良いでしょう。所謂コップの中の問題です。

次は七計ですが、七計とは一、主孰有道・二、将孰有能・三、天地孰得・四、法令孰行・五、兵衆孰強・六、士卒孰練・七、賞罰孰明というものでありました。これは敵対する勢力が実際に一戦を交えるとなった場合その勝敗のゆくえを予測する為の手がかりとして甲乙の相対比較を述べている訳です。七計はコップの外を見比べてみようと云うことですね。

 
一、主孰有道とはどちらの勢力が明確なビジョンを持っており国民の意志統一が計られているかということ。
  
二、将孰有能とはどちらの勢力のリーダーシップが優れているかということ。
  
三、天地孰得とはどちらの勢力の戦略が優れているかということ。
  
四、法令孰行とはどちらの勢力のルールやシステムが優れているかということ。
  五、兵衆孰強とはどちらの勢力の兵器が強力かということ。

  
六、士卒孰練とはどちらの勢力の軍隊がよく訓練されているかということ。
  
七、賞罰孰明とはどちらの勢力の信賞必罰が明確になっているかということ。

では、この七計に添って米・日・EUを比較考量してみましょう。

七 計

アメリカ

日 本

E U

.主孰有道

×

×

ビジョン

アメリカの正義リベラル&デモクラシーを世界に広げる

国家ビジョン何もナシ

アメリカに対抗する為の統合

.将孰有能

×

リーダーシップ

地球規模の十字軍として世界をリードする

アメリカの腰巾着

独と仏の綱の引き合い

3.天地孰得

×

×

戦 略

一極支配と云う明確な世界戦略を持っている

何もないから国際協調

同 左

.法令孰行

×

×

システム・ルール

アメリカスタンダードはグローバルスタンダード

アメリカ様の仰せの通り

米スタンダードに翻弄

5.兵衆孰強

×

×

兵器・軍隊

軍備増強を続ける

米軍の補助部隊

軍備縮小中

6.士卒孰練

×

×

訓 練

独自の戦争設計に基づいて進めている

戦争設計など不能

NATOは事実上消滅

7.賞罰孰明

×

×

信賞必罰

責任の所在が明確で信賞必罰が厳格に行なわれる

誰も責任をとらず誰も罰せられない

寄り合い世帯の為責任の所在が曖昧

どうですか?七計により比較考量してみればアメリカがこの時期にネオコンを打ち出しその通りにやると宣言しているのは、兵法の観点から見て誠に理に叶っていると云えませんか?逆説的に云うならば、今この天の時(時代の流れ)と地の利(置かれた環境)を逃したらアメリカのビジョンは実現できない!と云えるかも知れません。

実力さえあればいつでもできるというものではないんですね、何事も。天の時と地の利が味方してくれなければ成ることも成らなくなるんです。アメリカの主義主張には論理矛盾はありますが、論理の正しさが通るとは限らないんですね、国際政治は。武力の後ろ盾がなかったら通用しないんです。アングロサクソンは「戦争とは政治の延長である」と考えておりますから論争によって決着がつかなければ戦争によって決着をつけることになるんですね。

「話せば分る!非武装中立!!」などとバカなことを唱えた政党がありましたが、話して分る位ならとっくの昔に地球上から紛争はなくなっていますよ。「人間の脳は、話せば分るような仕組みにはなっていない」と養老孟司氏も云っているではないですか。(百万部のベストセラー「バカの壁」参照)話しても分らない場合にはジャンケンかクジ引きでもして決着をつけよう!とでも云うのでしょうか?あの人達は。天使の心もあれば魔性の心もあるのが人間ですから人間オンチなんでしょうね、あの左翼政党の連中は。「お前達は自らの盛衰をクジ引きで決めようと云うのか!?戦おうともせずに!!」と世界中の笑い者になってしまいますね。



(4)治世のリーダーシップ・乱世のリーダーシップ

「治世の能臣、乱世の奸雄」という諺があります。天下太平の世は善良な官僚でも国は治められるが、荒々しい世になると奸智にたけた英雄豪傑でなければ国は治まらないという意味です。これをリーダーシップの観点から眺めてみると、マァマァ・ナァナァでもやっていけるピースフルでマイルドな穏やかな時代に要求されるリーダーシップは善良で温厚な人柄で高潔な人格の人物が求められますが、バイオレンスでワイルドな荒々しい時代になりますとそれだけでは治まらなくなります。対立抗争が日常茶飯事となりますから「マアマア・ナアナア」では収拾がつかなくなるんですね。このような時代には毅然としたリーダーシップが必要になって来ます。バイオレンスでワイルドな時代に必要とされるリーダーシップを孫武は「智・信・仁・勇・厳」と五つにまとめております。これを乱世のリーダーが具うべき五つの要件として仮に「五具」と称しておきましょう。

  智とは、智謀や智略のこと。
  信とは、信義や信念のこと。
  仁とは、仁愛や仁慈、つまり部下の面倒見が良いこと。
  勇とは、勇猛・勇敢なこと。
  厳とは、厳格で威厳のあること。

五徳(仁・義・礼・智・信)と同じ言葉がいくつかありますが五徳と五具では言葉の意味も構図も違います。
「五徳」では

  仁とは、人を思いやるに素直であれ。
  義とは、正義を貫くに素直であれ。
  礼とは、礼を尽くすに素直であれ。
  智とは、智恵を磨くに素直であれ。
  信とは、人を信じるに素直であれ。


ということでありまして、徳はすべて仁ベースの構図

つまり、リーダーであろうとなかろうと治世であろうとなかろうと、人間である限り万人が踏み行なうべき道を示したものが五徳でありますが、五具とは、この前提に立って乱世に於けるリーダーシップはかくあるべし!とするものであります。  

五具の構造図は次の通り


つまり、五角形の構図になっておりまして各項目がレベル3以上でなければ乱世のリーダーは務まらないということなんですね。人柄が良くて高潔なだけでは治まらない!と云うことなんです。これは国家や軍隊のリーダーだけに限ったことではありません。熾烈なサバイバルゲームを演じておるすべての企業・すべての団体組織にも当てはまることなんです。一度この五具の構図を使ってあなたを含む役員・幹部の棚卸しをやってみてはいかがですか?バブルがはじけてからグッと業績の落ち込んでいる企業や倒産した企業のトップに共通するタイプは次のような曲線を画くんですね。

参考:智2 厳1 勇1 仁5 信5 の線を結ぶ「曰く、知識はあるが智謀に欠ける。信義に厚く仁愛豊かであるが、冒険をしてみる勇敢さと・部下に対する厳格さが殆んど欠落している」と。さぁどうですか?ドキッ!とした方もおられるようですが最近急増しているのが、福助や世界長や東ハト等に見られる業界の老舗と云われる企業の倒産です。帝国データバンクの調べによりますと、負債総額が十億円以上、百億円未満の中型の倒産企業では、創業50年以上の老舗が六割以上を占めているそうです。治世の時代には負けなければなんとかなりますが、乱世の時代は勝たなければ生き残れないんですね。

十年以上も「論語」と「孫子の兵法」を講義して参りましたが今にして思えば「か弱き善人であってはならない!正しき者は強くあらねばならない!!」と自分自身に云い聞かせ、皆さんに訴えてきたのではなかろうか?という気が致します。共に正しく強くありたかったんですよね。本当の所は。こういう時代は五徳のみならず、五具も必要不可欠なのだとつくづく思います。清く・正しく・美しくだけではダメなんです。特に人の上に立つ者はね。

ところで、孫子は孫子でも孫武ではなくその玄孫(やしゃご)に孫殯の残した兵法書の中にダメリーダーの特徴を二十項目挙げておりますが、五項目は欠落し十五項目現存しておりますので紹介してみましょう。


<ダメリーダーの二十ヶ条>

 
一曰く、不能なれども自ら能となす・・・能力がないのに自分ではあると思ってる。
 
二曰く、驕(きょう)・・・驕慢である。
 
三曰く、位に貪(どん)・・・地位に貪欲。
 
四曰く、財に貪・・・金に貪欲
 
五曰く、欠
 
六曰く、軽(けい)・・・軽率である。
 
七曰く、遅(ち)・・・鈍い。
 
八曰く、勇寡(すくなし)・・・勇気がない。
 
九曰く、勇なれども弱・・・勇気があっても力がない。
 
十曰く、信寡し・・・云うこととやることが一致しない。
 
十一曰く、欠
 
十二曰く、欠
 
十三曰く、欠
 
十四曰く、決寡し・・・決断力に欠ける。
 
十五曰く、緩(かん)・・・のろい。
 
十六曰く、怠(たい)・・・中途半端でいい加減。
 
十七曰く、欠
 
十八曰く、賊(ぞく)・・・残忍である。
 
十九曰く、自ら私す・・・公私を混同する。
 
二十曰く、自ら乱す・・・自らルール違反をやる。

五・十一・十二・十三・十七が欠落しておりますが、推察して補ってみますと、
 
五曰く、吝(りん)・・・けちんぼ。
 
十一曰く、厳寡し・・・威厳がない。
 
十二曰く、慮(りょ)寡し・・・思慮が足りない。
 
十三曰く、仁寡し・・・部下の面倒見が悪い。
 
十七曰く、度(ど)に験(ため)す・・・自ら意志決定せず、八卦占いに頼る(風水もこれ)となりましょうか。

乱世とは限らず治世にあってもこれに該当する項目が五つ以上あったらとてもリーダーなど務まりませんが、乱世にあっては三つ以上あったらダメでしょう。該当項目ゼロで当り前、大目に見ても1から2ヶ以下でしょう、リーダーシップをとれるのは。
現在我が国が迷走を続けている最大の原因はこのダメポイントが五つも六つもあるような人物が政界・官界・教育界に跋扈(ばっこ)しているからなんですね。

今回不起訴になった元外務大臣なんかは11から12ヶもあるんじゃないですか?ダメポイントが。こんな人物に国会議員など務まる筈がないでしょう!この乱世のご時世にあっては。だから云うんです。「彼女は長岡の恥じのみならず新潟の恥じ日本の恥じである!」と。言葉は悪いですが、ああいうのを「テーノー」とか「ノータリン」と云うんです。「オバカサン」では済まないんですね。

当会にも長岡選挙区の方が何人かおられますが、彼女が当選するようなことにでもなれば、長岡人のみならず新潟県人すべての見識を疑われてしまうことになるんですから、しっかりと判断してやってくださいね。ノータリンの巻き添えを喰らうのは御免です。彼女の亭主も一体何だね、アレは。アレは「斗しょうの人」
{器量の小さい人}・・・ 論語ー子路・・・(一山いくらの人)だろう?

カカアの七光りで当選させてもらったような人物に国政など担える訳がないでしょう!「米百俵」に恥じないような人を出して下さいよ、長岡の皆さん!ベッカムにキャーキャー騒いでいる人間を見て、バカじゃねえかアイツ等は!と云ってるくせに彼女のことになると正気を失ってしまう。ベッカムは自分の力で稼いでいるが彼女は父の亡霊で稼いでいるだけじゃないですか。ということは、長岡の彼女シンパシーはベッカムファン以下ってことですよ、冷静に見ればね。



(5)汝ら国の主たらば、盲を絵師・聾を楽師とする勿れ!

我が国は民主主義国家で国民主権ですから国民が政治家を顧い役人を顧っている訳ですが、政治家を絵師・役人を楽師になぞらえてみるならば、盲を絵師に顧いつんぼを楽師に顧う君主などどこにもいないでしょう!「バカな大将敵より怖い」と申しますが、盲が盲の手を引くことはできないんですね。今の日本が丁度これ、盲が盲の手を引いてる状態なんです。だから、国家ビジョン一つ決められず国家戦略も立てられないで迷走を続けているんです。

孔子と孟子の中間に墨子という大変面白い人物がおりました。当時の最先端技術者で兵法家でもあり思想家でもあった人ですが、彼は次のように云っている。「人を非とする者は、必ず以て之に易(か)うものあり。もし人を非として以て之に易うものなければ、これを譬(たと)うるに、水を以て水を救い、火を以て火を救うが如し。その説必ず可無からんとす。」と。

「人を非難する以上はそれに代わる別の見解を示さなければならない。もし人を非難するだけで何の代案も示さないとすれば、それは水を防ぐのに水を以てし、火を防ぐのに火を以てするようなもので、何の役にも立たない!」」と。そこで私は生意気にも機会あるごとに訴えているんですね、日本の国家ビジョンは「日本国及び日本国民の安・富・尊・栄を実現し、ひいては世界人類同胞の安・富・尊・栄を拡大増進することにある!」と。

よってその戦略思想は「我が国の国家ビジョンを遂行するに当って、これに敵対し、妨害する勢力があれば強制力を以て排除する!」と。あとはこれを長期・中期・短期に分けて、段階的にマニフェスト(政権公約)を実施して行けば良い。最近マニフェスト論議がさかんに交わされておりますが、ビジョンなくして一体どうやってマニフェストを実施して行こうと云うのでしょうか?マニフェストとはビジョン実現の為の段階的方法論なのであって手段に過ぎません。目的も定めずに手段をワァワァ云い合ってるなんて一体全体この国の政治家はいつになった目を覚ましてくれるのでしょうか!?

更に腹立たしいのは口を開けば「反戦だ」・「平和だ」・「人権だ」とワメいている人間が、北朝鮮の拉致に対しては一言も発言せず何の行動も起こそうとはしない。ペテン師ですよあんなのは。墨子という人は口先平和主義者・口先人権主義者は偽善である!として自ら防衛集団(当時のハイテク軍団)を組織して戦争当事国に乗り込み直談判して戦争を止めさせている。

墨子の思想の特徴は、兼愛(博愛)・非攻(反戦平和)・無差別平等(神の前に万人平等)・自己犠牲(神の義に殉ずる)・交利(互恵主義)にありまして、イエスキリストは墨子の生れ変りではないかと思える程キリスト教に瓜二つの思想でびっくり致しますが、博愛主義者であるこの人物をして「もし君主が暴虐非道で人民を苦しめている国があるならば、その国を撃って人民を解放することは聖戦であって立派なことである!」と述べている。

墨子は任侠道のルーツと云われておりますが、「以て天下の利を興し、天下の害を除かんことを求むるなり!」と何度も何度も語っている。これは先程私が述べた「日本のみならず世界の人類同胞の安・富・尊・栄の拡大増進に敵対し妨害する勢力があれば、強制力を以てこれを排除する!」と同じ意味でしょう!こういうことは侵略行為でも何でもない、聖戦・聖なる戦いと云うんですよ。日本人にはこの覚悟がいりますね、侵略戦争はやらない!

しかし、聖なる戦いはやる!!と。戦争はすべて悪、義戦も聖戦もない!話せば分る!!などとノーテンキなことを云ってるのは正義面した腰抜けの臆病者なんですよ。本当は。真実反戦平和を唱えるのであれば、自分は絶対安全な所に身を置いて、口先だけで「戦争反対!」と唱えるのではなく、墨子がやったように当事国に乗り込んで行って、体を張って直談判をやるべきです。それが本当の平和運動と云うものでしょう!?戦争を放棄した日本国内で平和運動をやったって意味がないんですよ。ああ云うのを「極楽トンボの空念仏」と云うんですね。

今日本人が日本のコアコンピタンス(核となる能力)を発揮して取り組むべきことは、人類の最終兵器を研究・開発することです。エッ!ウソーッ!と思った方もおられるかも知れませんが、私の云う最終兵器とは、人類を滅亡に追いやるものではありません。その逆です。世界中のすべての兵器を無力化してしまう兵器、それが私の云う最終兵器です。ミサイルでも大砲でも機関銃でも、撃ったら撃った方に反転してしまうような重力反転システムと云うか、空間を歪めてしまうような装置と云うか、そういうものを開発したら良い。年間三兆円の予算で30年で90兆円もかければできるんではないですかね。日本の個人消費は300兆ありますから消費税を1%上げて、その上乗せされた分は最終兵器開発の為の「人類防衛予算」とする!と明言すれば反対する人はいないんではないでしょうか。

最終兵器が完成する迄の間どうするか?墨子は更にこうも述べています。「倉に備粟(びぞく)なければ、以て凶饑(きょうき)を待つべからず。庫に備兵(びへい)なければ、義ありと雖いえども義なきを征する能わず。城郭備全(びぜん)ならざれば、以て自ら守るべからず。心に備慮(びりょ)なければ、以て卒に応ずべからず」と。

「倉庫に食糧の備蓄がなければ、凶作を乗り切ることができない。武器庫に武器弾薬の備えがなければたとえこちらが正しくとも敵を征圧することができない。城郭に防衛システムの備えがなければ守備することができない。人民に国防意識がなければ、侵略軍に応戦することができない」」と。備粟(びぞく・食糧備蓄)・備兵(びへい・兵器の備え)・備全(びぜん・防衛網の整備)・備慮(びりょ・国防意識)の四つの備えがなければ、どんな立派なことを云おうが通用するものではない!と述べている訳ですが、これ、現在の日本のことを云っているのではないでしょうか。

国会議員と官僚に一度墨子を読ませたいですね。墨子の主張の中でも括目すべきことは、さすがに当時最先端の科学者だけのことはありまして、物事を判断し論理を組みたてるに当って過去現在未来に分けて検証してみる「三表法」という思考方法をとっている所ですね。

三表法と云うのはあるテーマについて

 
.過去の歴史に照らし合わせて検証する(考証法)。
 
.現実の状態に照らして検証する(帰納法)。
 
.その政策を実際に適用した場合の将来の結果を類推して、つまりシミュレーションをやってみて検証する  
  (演繹(えんえき)法)。というものです。

考証法と帰納法と演繹法を組み合わせた非常に合理的な思考方法でものごとを判断している訳ですが、この三表法は現代でも充分通用するのではないでしょうか。いずれに致しましても21世紀日本の進路の重要なヒントが「墨子」にあるような気が致します。「話せば分る!軍備反対!!」などと曰まう正義面したペテン師に出会わしたら今度一度聞いてみて下さい。

 
.過去の歴史の中で、話し合いで戦争を回避した事例があれば挙げてみよ!
 
.人間の脳は話せば分る仕組みになっていないが、それでも話せば分る!と主張する科学的な根拠を示せ!
 
.ブッシュ再選後アメリカは必ず北朝鮮を撃ちに行くが、それ迄2年間の猶予があるから、今から当事国に
   乗り込んで「話せば分る」ことを証明してみろ!・・・・・・と。

ありもしないこと・できもしないことをあるかのように・できるかのように云う人間を「ペテン師」と申しますが、左翼政党などは名前を変えて「日本ペテン党」と名乗ったらどうでしょうかね。

時間があれば墨子を講義してみようかとも思っておりますが、ちょっと時間が取れそうにありませんね。やるとするならば、青年部での講義になりますかな?「孫子の兵法」と「墨子」の併行講義というのも面白いかも知れませんね。墨子に興味のある方は徳間から抜粋ものの良い解説書が出ておりますから一度読んで見て下さい。(徳間書店 中国の思想 第5巻「墨子」。全編当りたい方は明治書院「墨子」)

以上で本日の講義を終わります。

(文中に不適切な言葉がありますが、講演内容そのままですのでご了承下さい)